■二坑会館歌謡ショー記事 1969年(S44)9月14日 by ganpunmaki



二坑会館はこの翌年1970年(S45)に解体され規模が550uと約1/3の耐火構造の
青少年会館に建て替えられる。

当時の新聞記事「あしべつ」昭和44年10月1日○資料提供岩粉撒き氏


去る九月十四日、ひさびさに第一線で活躍する歌手をまねいての歌謡ショーが二坑会舘で開かれた。

最近は二百人を越える閉山炭鉱等からの再就織者を迎えて予算人員も充足し、
あとは全従業者のヤル気がビルド三井芦別の飛躍をささえるだけとなっており、
季節的にも暑い夏からさわやかな秋を迎え、こんごの健闘のためにも大いに楽しんでもらおうと、
鉱業所、職員組合、労働組合三者の共催、日本放送協会の後援で開かれたもので、

中央からデビュー以来十四年のキャリアをもつベテラン松山恵子、
北海の満月いらい男の歌をうたう歌手として人気の高い井沢八郎、
俳優から歌手に転進、新しいタイプの歌手をめざす山内賢、
秋田出身の新進歌手亜里ひろみと東芝音楽部専属の人気歌手をまねいた。

第一回開演三時半、第二回開演六時の二回公演だったが、午前十時には、
第一回の入場者が列をつくるなど前評判は上々だった。
また、第二回のさいは会館前から二坑町労務まで入場者の列がつづくという盛況ぷりだった。
開演に先だって、石川労務課長と斉藤労働組合長がそれぞれ主催者側を代表して、
かんたんなあいさつをおくったあと、
NHKアナウンサーの司会で、山内賢が「初恋の人」をひっさげて登場するころは、
場内は超満員、入場者の熱気でむせかえるばかりであった。

二回の公演で入場者は三千人をこえたが、ひさびさの有名歌手の来山とあって
声援のほうもひときわさかん、松山恵子に握手をして大よろこびの人や、
井沢八郎にステージの下までとび出して握手するなど、
一回一時間四十五分の公演も、あっという間の熱況ぷりだった。

出演歌手もヒット・ソングをはじめフォークソング調、
民謡調、艶歌(えんか)調ありの大熱演で一人が7,8曲歌う大サービスだった。
また二回の公演とも出演者のイソタビューの合い間に、
NHK専属楽団札視オール・スターズの指揮者川原精二さんと五人に、ヤマ
のかわいい振り袖姿のおじょうちゃんから豪牽な花束がおくられ、
ヤマの慰安歌謡ショーに花をそえ、-午後七時二十分には無事終演した。

(楽屋裏)
ひさぴさ歌謡界第一線歌手の来山とあって、歌謡シヨーの人気は大したもの…い<つかの記録がうまれた。
(その一)第一回開演三時半、開揚二時半の時間割りに、
入揚一番手の人が開館前についたのが午前九時半、若い女性、つづいてはるばる黄金坑からきた奥さんが二番手。

(その二)第二回目の入揚者が整然と整理なわにそって並びはじめたのが開場一時間半前、
長蛇の列ま二坑町労務よこまで続いた。