■三井芦別鉱山事故記事 1977年5月12日(木) by ganpunmaki
事故記事1


北海道新聞 昭和52年5月12日


以下記事抜粋

祭りのざわめきがピタリとやんだ。悲報が鋭く山を走る。「大事故だ」。
好天に恵まれ、町を上げての山神祭が幕を上げた宵宮祭りの11日昼過ぎ、
芦別市内が、三井石炭鉱業芦別鉱業所のガス爆発事故で一瞬のうちに暗く沈んだ。
「無事で出てきて」との肉親の願いも空しく、暗闇の中、相次ぎ無言の帰宅をする犠牲者達。
この日、山元は悲痛な涙と事故への怒りで震えるばかりだった。

<祭 り>
この日は同炭鉱あげての祭り。「山神祭」の宵宮。みこしや一坑神社の飾りつけもすっかり終わり、
道には上りがにぎやかにはためいた。
子供達は好天の中、はしゃぎ回る。のどかな空気の中へ飛び込んできた「事故」だ。
祭りは中止。芦別鉱業所の決定とともに、事故の速報は全市内へ。
学校グラウンドわきに出ていた露店には寄り付く人影も少なく、
夜になっても何とも言えない暗くさみしい光景を見せていた。

<坑 口>
坑口付近には事故の知らせを受けた家族達が不安に表情を引きつらせながら、
午後2時過ぎから続々と集まってきた。
入坑する救護隊に祈るようなまなざしを送り、中にはそっと手を合わせる女性も。
が、午後4時40分、保安講堂で待つ家族たちに冷酷な知らせが伝えられた。
「最初に脱出した8人以外は絶望です」との会社側の説明。
一瞬静まり返った講堂だったが、たちまちせきを切ったような号泣に変わった。
「どうしてこんなことに」とのうめきが声にならない。
最初に坑口から遺体が運び出されたのは午後8時過ぎ。
ヤマの仲間にかつがれた遺体が暗い坑口に姿を見せると、出迎えた約300人の人達の間からすすり泣きの声が。
「入坑する時はあれほど元気だったのに」毛布にすっぽりと覆われ
無言で坑口を出る亡がらに声にならない声があたり一面を重苦しく包んでいた。

<病院・遺族宅>
毛布に包まれたヤマの男達の遺体は遺族の悲痛な声を後に救急車で
三井芦別炭鉱病院と芦別市内の野口病院に分散収容。
「もしや、お父さんでは」と、炭鉱病院についた救急車にどっと駆け寄る遺族達。・・・・



資料提供:岩粉撒き氏