■山神祭 資料 芦別市百年記念館

記事に飛ぶ一坑ヤマ祭り1972年(S47)

▼「さんじんさい=山神祭」
 全国の炭鉱の祭神は、瀬戸内海の大三島にある大山祇神社の「大山積神(オオヤマツミノカミ)」を分祀したもので、これが山神(さんじん)です。
 三井芦別神社では、5月11日に分祀したので、この日から3日間を例祭日としたのでしょう。


▼「三井芦別神社由緒」(昭和32年11月12日)(星の降る里百年記念館蔵)

 「昭和十四年四月 三井芦別坑開発のため西芦別部落より川岸部落へ移住の際 御神体は遷座されたるも神社建物は残され部落民に引継がる
 昭和十五年四月 芦別神社を経 愛媛県大三島国弊大社大山祇神社より御分霊を受け 同年五月十一日御分霊を奉斎 三井神社と称す
 昭和十八年秋 三井芦別在郷軍人分会により新神社起工のためこの地に鍬を入れたるも終戦により中断さる
 昭和三十二年八月住民年来の要望による再建が三井芦別鉱業所により行われ 同年十月完成 本十一月十二日 ここに遷座祭を執行するに至る 以上」



▼「座談会 開鉱当時の芦別を語る(2)」

(三井芦別鉱業所『あしべつ』第192号 昭和31年3月1日)
「催物一つないが ヤマ祭にはみな大喜び

 司会 山神祭はやりませんでしたか。神社はあったんでしょう。
 毛利(貫一) 神社は、うちで買収する前から部落のがありました。現在の一坑神社がそれですがネ。当時は八幡様をまつってあったんですが、それに会社が大山祇命を併祀したんです、たしか今もそのままだと思います。山祭は最初からやっていました。
 安倍(正明) 昭和十五年の山神祭の時に大山祇命をおむかえして祀ったのです。お祭りの余興としては、今の機電工場の一寸向うに噴水をつくったり、色電球を飾ったりしました。
 毛利 砂川以上に賑やかな山祭りをやれということでしたが、全員がほとんど公休日なしに作業していましたので、人手も足りないしやりたくてもやれなかった、そんなわけで安倍さんがいったように山祭りといってもこれという催物一つなかったんですが、しかし皆喜んでおりましたね。」


▼西芦別の山神祭で露天商が出店したのは、昭和30年から(石川ー・談)



▼塊鉱黒獅子

 昭和46年秋、三井芦別炭鉱の有志で結成。本町に伝わる芦別獅子保存会の指導を受けたため、演目が芦別獅子と同じである。ただし、芦別獅子が胴幕に大人10人が入る大がかりな「百足獅子」であるのに対し、塊鉱黒獅子は、「二人立ち」の小さな獅子舞である。炭鉱の合理化に伴う後継者不足のため、昭和60年に休演となり、平成4年の閉山とともに解散した。
(参考:三井芦別労働組合解散記念誌『耀風』1993)


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