三井鉱山戦後若返り工事 1947(S22) by ari



荒れた炭鉱に若返り手術

(芦別にて牧特派員)戦争中のらん獲で荒廃に帰した炭鉱若返り手術が三井芦別鉱で開始された。
埋蔵量二億トン、質量ともにすぐれ開鉱歴史のそれ程古くはないというのに坑道は荒廃の極に達し、加えて坑口から切羽まで徒歩で一時間という悪条件は戦前の日産千ハ百噸を現在ただの七百噸へ凋落を余儀なくしてしまった。
この早老を太い注射によってグント若返らせ石炭増産による本道開発事業に一役担おうと三井芦別鉱では資本サボの声を一蹴一億円という巨額の予算のもとに札幌地方施設部の鉄道隧道技術にその工事全体を依頼した。

”石炭王国”芦別へ
一万五千米の隧道工事に着手
引受けた国鉄技術部隊

札幌地方施設部では昨年十月頃から約四十名の技術家のエキスパートを現地に派遣、鉄道芦別工事事務所を設け現地調査工場の?築等基そ準備工事を行って来たが、いよいよ十五日第一坑区九千三百米、第二坑区六千三百三十米合わせて一万五千六百米というぼう大な終戦後初の若返り工事の火蓋が国鉄技術隊の栄よをになって寒気身にしむ断がい絶壁の山奥に鑿岩機の響とともに切って落された。
この工事の眼目は、戦時中の増炭要求に応ずるため露頭面?に地表に近い炭層から手をつけた結果の早老を三番層、四番層の水矩線まで下げて正規採炭により若返らせ飛躍的増産を計ろうとするもので、本工事の特異な点は鉄道が炭鉱の隧道工事を請負ったのは全国でこれが最初のものであること、空気圧縮機、電気ショベル、瓦斯予防の空気ショベルなど優秀な機械を縦横に駆使する点であろう。
千五百余名の労務者、百名を超える技術者が動員され昭和廿四年三月を完成目標に全力を挙げて工事に突入したこの二本の坑道が完成した暁は一坑区、二坑区とも日産千五百乃至二千屯出炭は確実と見られ年産百万屯を誇る夕張炭鉱に肩を並べ本道二大炭鉱の一つとして大きくクローズアップされよう。
更に本隧道工事と並行して会社直営で計画中の北部処女鉱区開拓を含む三ケ年開拓事業が緒についた暁は人口五万以上を抱擁する炭都芦別の誕生が期待される。

(写真 いよいよ開始された芦別炭鉱の一大隧道工事に敢闘する国鉄陣)

塊炭飴吉(近隣炭住昔人)氏解読


札幌市立図書館で古い新聞記事を見つけました。
マイクロフイルムよりコピーですが原本が古いらしく余り鮮明ではないです。

1947年(S22)2月17日新北海新聞より
コメント資料提供 蟻工業 蟻氏より