■中の丘小学校開校十周年記念誌 1965(S40) by miyakomai

 初代校長 横山正治(現夕張市清水沢小長)
「芦別川のほとりに立てる堅牢と美の真白き殿堂 之ぞ正しく真理求める 中の丘の子どもの集う学び舎」横山正治作詞 開校の歌

 芦別川の流れる音がまだ耳の底に残っている。
校庭の真中に残っていた山はどうなったでしょうか。父兄の方の勤労奉仕をいただいたグランドはさぞかし立派になっていることと思います。
 建物だけで玄関のない学校 失対の方々の協力を頂いて排水の切替整備したり、通学道路の補修をしたり。
 湯沸場の二基のかまをつかって二年目から始まった完全給食。今では給食室が整備され近代的な衛生的な給食が行われている。
視聴覚を通して知話を吸収するテレビ放送更には又プールの設置と教育に関心の強い極め意欲の盛り上がった父兄の方々の熱意が次々と近代的な施設設備を拡充整備して中の丘の子どもたちを幸福にして行く。本当に幸せな中の丘の学校の子どもたちです。
 昭和三十二年の開校から十年の歴史を経た今日 子どもの幸福のため、団結と熱意とから他に類例のない諸施設を学校に整備された父兄に対して改めて敬意を表し中の丘の子供の幸福を心から喜び十周年のお祝いを申し上げます。

                 芦別市教育長 飯田滝之助
 中の丘小学校が創立以来十周年だとお聞きしてそんなになるかな・・・とびっくりしましたが考えてみるとなるほどとうなずけました。
 私が指導主事をしていたとき、西芦別小学校が五十学級ぐらいにふくれマンモス学校対策が当時教育委員会内部で論議されていたことでした。
 ちょうどそのころ文部省でも適正規模の問題が検討されており、小学校二十四学級以上については分離策を考慮中との非公式情報もあったとやらで、中の丘小学校新設のことが決定されたはずでした。
 敷地の決定については将来の増築を見越して当時の三井鉱業所
の武富労務課長さんが教育委員であったことから三井の陸上競技場予定地であったらしい現在地の提供が本決まりになったように聞き及んでいます。
 創設当時から校下父兄の方々の教育にたいしての熱意は異常なほどで頭の下がることが多かったことでした。
 十周年を期して益々発展されますよう御祈りして御祝いのことばといたします。

 祝辞               芦別市長 側見清一
 私が始めて市長となった昭和三十年に校舎建設の着工をみ、翌年西芦別小学校の分校として開校して以来私の担当した市政とともに十年の歩みを残した中の丘小学校に対し一種の親愛感とこの間同校を育成盛りたててきた諸先生と父兄の方々には深い尊敬の念を抱かずにはいられません。
 中の丘小学校は歴史こそ浅かれ、学校プール施設をはじめ校苑の整備、特に視聴覚教材の導入は他校に例をみない充実ぶりを示し、生徒の教育学習に多大の効果をあげていることはひとえに父兄の理解ある御協力によるものと申せましょう。
 こうした教育熱心な学校そしてその地域から非行児童問題の起こるわけもなく「明るく、仲よく、進んで努力」という校訓もことばだけでなく生徒の中に生きていることが感じられます。
 今後ともこの校風を守り育て健全な児童育成にいっそうの効果をあげられんことを期待し、開校十周年にあたりお祝いのことばとします。

開校十周年を迎えて
                   学校長  冨田弥一
 中の丘小学校が○に開校十周年迎え得ましたことは皆様と共に誠に欣に堪えないところであります。顧りみますと本校は当時の炭鉱好況の波にのり人口も著しく増加して西芦別小学校のみでは児童の収容困難となったため、昭和三十一年九月一日現在地に普通教室四その他附属建物が新築され児童数一八四名(四年以下)を以って西芦別小学校中の丘分校として発足いたしました。

 次いで翌三十二年四月一日芦別市立中の丘小学校として独立認可され現在迄累計三七〇名の卒業生を送っているのであります。
 思えば本市初めてのブロック建として校舎を建築された市関係当局の御熱意と初代PTA会長姫野輝男氏を中心とする地域住民の方々の「おれらの学校だ」という強い教育に対する御熱意は新設校としての施設設備のハンデキャップを埋めるため献身的な努力をされて本校今日の基礎を作られたことに対し深甚な感謝と敬意を捧げる次第であります。
 爾頼十星霧次第に施設設備が整備され今日に至っているのでありますが昭和四十年開校十周年の議起こるや校下父兄一体となって協賛会が組織され父兄同窓生教職員児童一眼となってあらゆる困難を乗り越え更に一段と教育条件を整備すると言う目的に向って努力を続けて参ったのでありその成果が今日ここに実った次第であります。

 この度栄えある開校十周年の式典を挙行するに当り市関係当局は勿論○ら協賛会に結集して御骨折りいただいた校下の皆様更に協賛会の事業に特段の御配慮を戴いた各位に対し厚く厚く感謝申しあでる次第であります。

 十年の歳月は本校にとって誠に○に苦しい基礎作りの時代でありました。この偉大なる基礎作りの人々の苦労を偲び校下、職員全員一致相協力して進むならば必ずや更に輝かしい将来が開けるものと確信するものであります。
 私共本校に職を奉じこの盛事に際会したる者常に思いを新たにし各位の負託に答え児童の幸福と本校の益益発展することを祈念して開校十周年の挨拶とする次第であります。


開校十周年を迎えて
開校十周年記念協賛会長
中の丘小学校PTA会長          小森芳太郎

  開校十周年を迎えて心から御祝い申し上げます。
 顧りみますと昭和三十一年九月一日西芦別小学校分校として四教室で発足し、明三十二年四月市立中の丘小学校に昇格して今日に至りました。
 中の丘小学校誕生に当って教育に対する深い御理解によって事を進めて下さった市の関係各位労を惜しまず諸行事に一丸となって尽力下さった中の丘町内PTA及び居住の各位の尊い御功績があったのであります。

 同校当時四学級であったものが六学級に増加し、各教室にはいち早く「テレビ・オルガン」等も設置され併せて学校環境の美化整備も進み、他校にはない中の丘町内プールも校庭内に完成されました。このことも中の丘町居住者並びにPTA会員が一致しての子どもに対する温かい愛情の結晶の現れであると痛感しているところであります。                                                       【文章が長く教育のことばかりで中の丘小学校の歴史的なもの、なるほどと思われる内容でないため中間を省略させて頂きます】

一段と整備されました中の丘小学校が更に発展されますよう中の丘居住者PTA各位の御健康とご発展をお祈りすると共に児童の皆さんが更に立派な基礎教育を受け上級学校に進まれることを念願致しまして開校十周年の挨拶と致します。

回想 
    二代校長     浅野浅市郎(現新十津川吉野小中長)

 プールと言えば本当によく出来上がったものだと思う。後の管理にもずいぶん苦労した。
 会社では水はやらぬという。子供は泳がせねばならない。これも姫野氏おかげで解決したように思う。

沿革の概要
昭和31年9月  芦別市立西芦別小学校中の丘分校として発足。
一年より四年まで一八四名。普通教室四。教具室一。使丁室・湯呑場、便所等完成。

昭和三十一年十月 普通教室ニ完成。
昭和三十二年四月 芦別市立中の丘小学校として認可され独立。
         一年より四年までニ七四名。
昭和三十二年五月 校章制定。
昭和三十二年八月 効果制定。
昭和三十三年八月 体育館一部完成 渡り廊下下完成。
昭和三十三年九月 普通教室一、音楽室完成。
昭和三十七年十一月 給食室完成。
本校は炭鉱好況時、西芦別小学校の児童数増加によりその緩和のため開校されたもので、当初二十四学級程度の規模を予定し第二線校舎より建築されたものである。然るにその後炭鉱不況となり児童数激減により上記の建築のみで当初計画は中止のやむなきに至り、校舎の機能上幾多の欠陥を有しながら現在に至っている。
校地は芦別川河岸段丘の下、芦別川のほとりであり、四方を山に囲まれ、春の新緑、秋の紅葉はすばらしく、炭住・道道よりはなれ空気も割に清く、校庭に中の丘町プールもあり、冬にはスケートリンクもあり、山にスキーリフトあり、閑静にして教育の場としてまことに恵まれている。
【テレビ・オルガンは各教室に設置されていた】

     わたしたちの学校    一年  やまかげ あきこ
 わたしの先生のなまえは せいとうのりこ先生です。わたしの学校にはプールがあります。プールにはいるときの先生のかおは、わらいがおです。
 学校のうらにいけができました。いけの中にはきんぎょとかさかながいます。
 学校のまえにはふんすいがあります。わたしはやすみじかんにふんすいをみます。みずがあがるととてもきれいです。
 うんどうじょうであそぶときなお子ちゃんと、ふたりとびをします。たまにきんしをするときもあります。
 学校にきておべんきょうをするとき、すごくおもしろいです。学校にくるのもおもしろいです。

  ぼくたちの学校           二年   川上 実
 ぼくたちの学校には一年から六年までテレビがあります。そしてどうわの本もいっぱいあります。
 あそびどうぐがすくないのが、すこしさびしいけれど、大ぜいのおにいさんやおねえさんがあそんでくれるので、とってもたのしいです。
 そして、ぶらんこやてつぼうをかしてくれてとってもやさいいおにいさんおねえさんです。
 そして、なつになると、水あそびやプールであそんだりしておもしろいです。そしてすずしいあきやはるは、そとの草むらがとってもきれいで、ころがってあそべます。
 そしてふゆには、そしてふゆには、ゆきでつくったくまやきょうりゅうをつくってくれてたのしいとおもいます。
 よその学校の人から「プールがあっていいね」「テレビが一つのきょうしつに一だいずつあっていいね」といわれいます。

 

      わたしの学校     三年   山口泰子
 わたしたちの学校は、ことしの九月で、できてからちょうど十年になります。たくさんのお兄さんやおねえさんがそつぎょうして、りっぱな人になっていると思います。
 新しくできたときは、きっとりっぱな学校でおとうさんやおかあさんたちが、みんなでよろこんだと思います。
 この学校でいいと思うことは、きうしょく室があることです。いつもあたたかいしるなどがたべられるからです。
 また、わたしたちの学校には一つ一つの教室にテレビがあります。社会、理科などの勉強がテレビでもできます。
 それからプールがあります。プールの中でうきぶくろをつかっておよいでいる人がいればもぐって、石をとっている人たちもいます。
 また、てつぼうやぶらんこがあって、もんなでたのしくあそんでいます。
 それに、ふんすいのある池もあります。今ではもうさかなも入れてあります。とても元気で、人がよるとにげていってしまいます。その池は学校のうらにも池があります。この池をつくるとき、一年生から六年生までみんなで、かわらから石をはこんできたのです。 わたしは、池などつくるということは、らくなことではないと思いました。
 テレビやプールなどは、おとうさんやおかあさんがつくったそうです。
 わたしはこの学校に一年から六年までのくつおきばを、げんかんにつくったらいいと思います。まい日おもたいうわぐつぶくろをもたないでもいいようになるからです。
 わたしたちは、この学校にいるあいだ、いっしょうけんめいがんばりたいと思います。     
         

    学校のこと        四年   桐原真由美
 わたしの学校は、まだ新しい小学校です。この学校はコンクリートでできています。前には大きなプールやブランコ・鉄棒・池などもあります。木もうえてあります。池には十五匹くらいきん魚がいます。
 冬になると運動場ニスケートリンクなどもつくります。新生町の方にはスキー場があります。
 学校の中にはいろいろな楽器・テレビ・道具などもそろってあります。わたしは、学校のつくえやいすをこういうふうにしたらいいと思います。
 つくえは一人一人、いすは自動てきにうごくようにしてほしいと思います。
 わたしは、まだかえてほしいところがあります。プールに入る時、きがえをする所を、もう少しおおきくしてほしいです。
 ふべんな所は学校へ行く道です。でも遠くなくて良いです。
良い所は、この学校はコンクリートですから火事になっても中だけです。でもろうかは、あぶらをぬっているから、もえやすいです。
 わたしは、この学校から、よその学校へてん校していくのはいやです。それはとても良い学校だからです。
 わたしは、これから、うんと勉強しようと思います。
  

    私たちの学校     五年     稲葉真砂子
 私が登校する時、急な坂を下ります。その坂の上から見える学校が、私たちの中の丘小学校です。二階だての真っ白いかべ、屋根は緑でそして前に、青い水をみたしたプールがあります。校舎のむこうにはグランドで、そのそばにポプラの並木があります。
 白い校舎、青い水のプール、土色のグランドその間いちめんが、緑のしばふです。春にはここはタンポポの黄でとでもきれいです。
 中島の丘の岩山も、へんにとびでていますがとてもおもしろく感じます。坂の上から見えるこの学校がとてもすきです。
 また学校の中では、教室全部にテレビがついていたり、音楽室にオルガンがたくさんあったり、理科の実験道具もそろっていて、勉強がとてもしやすいです。
 この学校がわたしと同じ十才で、九月に十周年のお祝いをするのです。まだ十才になったばかりですから、私たちのほしいものもたくさんあります。理科室や図書館があると、もっと勉強もしやすいと思います。
 それから、火事や地しんの時、二階からのひなん口がないことなどです。
 これから十一年、十二年とたつうちに、この学校もまだまだよくなると思います。こんどの二十周年記念の時は、植えた木も大きくなり、見ちがえるようなりっぱな学校になっているとことでしょう。
 わたしたちは、このすてきな学校を、なおきれいにし、ていねいににつかっていきたいと思います。

   ぼくたちの学校       六年   堂 敏樹
 ぼくたちの学校は芦別一とじまんできるくらい設備が整っています。
 まず三十八年に給食室が建って、三十八年にプールができ、三十九年にオルガンが十台も入りました。ことしになって前庭にふん水
と池もできましたし、ほんとうにぼくは恵まれた環境の中にいます。
 そして、この学校も十周年、ぼくの卒業も第十回になります。ぼくは今、この学校に入ってよかった。この中の丘にに生まれてよかった、という気持ちです。
 学校のそばには山も川もあります。国旗や校旗をあげる、けいようとうもあります。苦しいことも、悲しいことも全部忘れるようなけしきです。
 春、校庭はじゅうたんをしきつめたようなタンポポでいっぱいになります。夏はしばふが一そうこくなり水泳をスルプールがあるし、秋にはそこらの山々が緑色から黄、赤でいっぱいになります。
こういうけしきは、いつ見ても目にしみるようです。
 冬、校庭にスケートリンクがあるし、雪合戦をしようと思えば、広い校庭で思うぞんぶんできるし、こういう環境は中の丘を覗いて他にないものだと思います。これらは全部みんなの血と汗のけっしょうです。先生、同級生、お父さん、お母さんによってつくられたものです。
 ぼくは、この学校を最後まで、大切にしていこうと、努力しています。

  校歌

1.金剛岳に照りそう朝日
  芦別川のたえざる流れ
  無限の宝庫に槌打ちおろし
  文化の扉おし開きつつ
  ああ中の丘健やかな子よ
  真理の道をいざや きわめん

2.希望を高く芦別岳の
  かすめる雲の上に抱きて
  学びの庭にいそしみ励み
  いばらの道を切り拓きつつ
  ああ中の丘きよらかな子よ
  平和の里をいざやつくらん
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