■炭鉱再考記事2001年(H13年)8月 by ashibetsu  



北海道新聞記事より  2001/8/7

まだ雪が残る今年三月末。また一つ、炭鉱の歴史を語る建物が取り壊された。
芦別市西芦別町の旧三井芦別労組本部事務所。国内で戦後初めて結成された炭鉱労組の本拠地だ。同組合は一九九二年閉山後の解散まで四十七年間、三井芦別炭鉱の盛衰を見守っていた。
同鉱の関連施設は、「不要なものは、できるだけ早く撤去する」との三井石炭鉱業道事業所の方針で撤去が進んでいる。
西芦別、頼城両町を中心とする「三井地区」には、かつて微粉炭選別など高い技術を誇った選炭場をはじめ、立て坑など炭鉱関連施設や炭住街が集中していた。しかし現在は、そのほとんどが撤去され、旧鉱業所事務所などが残るだけ。広大な更地に雑草が生い茂っている。

空知支庁は昨年三月、炭鉱遺産二百十二件を「そらち・炭鉱(やま)の記憶」に認定した。炭鉱の歴史を語り継ぐ貫重な遺産をリストアップしたのだが、認定は解体撤去を阻む力はなく、認定後も施設撤去は各地で進んでいる。

三井芦別労組本部事務所のほか、銭湯「桜湯」(夕張)、三菱美唄炭鉱滝ノ沢発電所、北炭幌内倶楽部(三笠)など重要施設が次々に消滅した。

支庁は「取り壊された件数は把握していない」(地域政策課)という。
炭鉱施設の多くは今も鉱山会社所有だ。古い建造物は老朽化し、固定資産税の負担など維持費もかかるため、厄介者扱いされがち。芦別鉱の閉山の際、同社幹部から芦別市に「取り壊しに五千万円かかる。立て坑をもらってくれないか」と打診があったと市関係者は打ち明ける。同市は財政難などから断ったという。

また、三井芦別鉱業所病院(八八年閉鎖)は「心霊スポット」とロコミで伝わり、興味半分の侵入者が、入り口や窓をふさいでも後を絶たないため、地元住民に撤去を求める声が上がり、昨年十一月取り壊された。
「使えそうな施設は残し、地元に協力する」(住友石炭鉱業)との所有企業の意向で保存される例もないわけではない。三笠市の住友奔別炭鉱(六六年閉山)の立て坑は民間工場として、上砂川町の三井砂川炭鉱(八七年閉山)の立て坑は地下無重力実験センターとして稼働中だ。

しかし多くは「使えない」とされる。資源エネルギー庁は、市町村の地域開発計画に基づく炭鉱用地の買収、施設保全に国の利子補給や助成を行っているが、保存してもその後の維持・保存の経費負担は市町村にのしかかる。

そうした事情から「炭鉱遺産保全は先行する夕張などに築約すれぱいい」(芦別市関係者)などと冷めた声も聞かれる。空知支庁は「市町村には貴重な炭鉱遺産を残すよう、努力してもらいたい」(地域政策課)と訴えているが、管内の何と何をどの去っに残し、だれが負担するか、などの臭体的プランは空知のどこにもまだない。

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芦別市星の降る里百年記念館所蔵 (掲載許諾済)