■川岸西芦橋1946年(S21)   by ganpunmaki




上の写真、三角形トラスのアップ


西芦橋渡橋式の様子
当時木造だった同橋は、昭和34年に鉄筋コンクリート造に改築されている(昭和21年撮影)
西芦別町や頼城町の農家が移転により入植
昭和二〇年三月、三井鉱山株式会社に土地を売却した西芦別町や頼城町の農家二八戸が、移転によって入植したのを川岸の始まりとしています。
現在では、ユリ根やジャガイモ、豆類を生産するなど、畑作を中心にした農業地帯へと発展しています。
住民の増地運動などで営農基盤が確立
開拓当初の川岸は国有林に位置していたため、入植した皆さんは、帝室林野局から林地開拓の許可を受けて、伐採による開墾を行いました。
開墾した土地では、御料局が国策として木材を伐採していたため、搬出用の馬の飼料になるえん麦を生産し納めていました。
徐々に農業基盤が確立されていきましたが、同地区の大半を林野庁が管理し、農地面積も狭かったことから、昭和三〇年には、国に対して地域の皆さんが農地の解放と増地運動を訴えるようになります。
その後、数回にわたって土地の売却が行われ、芦別農業協同組合の指導による機械作業を行った結果、昭和三八年にすべての開墾が終了し、現在と変わらない営農基盤を確立するようになりました。
交通の利便性のため西芦橋を建設
開拓当初の川岸は、芦別川を渡る交通手段がなかったため、入植は、特例として、奥芦別まで通っていた森林鉄道の貨物車両を利用して行われました。

地域の皆さんは、交通の便を図ろうと、丸太を組み合わせた仮橋を建設しましたが、完成しても芦別川が増水するたびに流されてしまったとのことです。


広報「星の降る里あしべつ」H17年2月1日号
歴史の源流をたどる、より
資料提供 岩粉撒き氏