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ホテルマウントフジ

11月の3連休は富士山へと向かう。
奥様が11月3日は雨が降ったことがない、とのたまうのでその日に決めた。ヨーシ信じましょう。
2ヶ月も前に予約をいれる、富士山が窓から見える部屋はホテルマウントフジではごくわずかしかない。争奪戦なのだ。

キャンセルはできても変更すべき部屋はない。
かくしてハラハラしながらこの日を迎えた。結果は先週までの台風と雨に祟られた荒天とはうって変わった晴天、
どこまでも透き通る富士の空気に触れられた。
先週まで頭に僅かに残っていた白い雪は台風が根こそぎ吹き飛ばしてしまった、と地元の人に伺った。残念。

前回は8年前の2009年7月小雨舞う視界の悪い日だった。
暗い気分からようやく少しだけ前向きになれそう、という気分そのままの天気だった。

雨が止んだ隙を待って山中湖のサイクリングロードを二人で走った。
富士山が何処までもついて来てきてくれる、
まるで見守ってくれているのを確かめるように背後を振り返りながら、走っては休むを繰り返す。
夕陽にシルエットを浮かばせる富士山は物凄く巨大で視界を塞ぐように見えていた、それは二人の希望そのものに見えていた。

あれから月日が流れこの古びたリゾートホテルも我々には親しみ深く映り、
大きな部屋の時の流れも庭から見える透明な景色も全部丸ごと心に入ってきた。
時間に吸い込まれ、吸い込み呼吸するように景色と一体化する、マウント富士。
古い記憶を共有出来る数すくないホテル。

部屋は広い、69m2ある、過去3番目の広さだ。写真はリビングスペース。客室の価値はここで決る。右側が富士山、左側が山中湖、両方同時に見える。
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部屋から見た朝空けの富士山、少し赤くなってる。奥様が撮影、私は寝ていた。
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初日の夕方、ダイヤモンドフジタイムがあるそうで、知らずに1本前の遊覧船に乗ってしまう。逆光で目も開けられないけど写ってました。
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ホテルの庭から見た共用棟、この左に客室棟、とてもじゃないが写せません。右のきれいな棟は東急ハーベストの部分。
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2日目に行った、廃墟のような紅葉台レストハウスから見た富士山。
バスが遅れに遅れ、おまけに路線を間違えて西湖に行ってしまう。
ここの景色がすごく良かった。間違いは人生の選択肢を豊かにする。
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夢)少年の瞳に写る私

じっとこちらを見てる、瞬きもしない強い力だ。
暗いテーブルの向こうから少年は目をそらさない。
言い訳のように私は口ごもる、
諦めたくは無かった途中で投げ出すなんて自分でも予想できなかった。
目をそらさずに彼が言う、あなたは最期までやり遂げると思ってました。
あの日東京に出てきたときから。

そんなに責めないでくれ、そう言いそうになった。
少年は憧れの日の私、希望と熱意に溺れていた頃の私、

少年はある日決意して田舎から出てきた。
狭く暗い自分のからに閉じ籠るのをやめ
頼まれた偉大な仕事を成すべく砂ぼこり舞う乾いた道を駅に向かった。

そっと父親が後ろを追う、今はあの子に声をかけないでくれ、父親は見まもる私たちに釘をかさした。
彼の力が必要だった、若く才知に満ちた約束された力が。

それから20年近く経った、彼は真っ直ぐ自分の道を進んだ
支えてくれる多くの人の力を借りて。
私は苦しさに耐えきれず新しい道を選んだ。

こうして二人あの日のように見つめ合ってる。

年をとったのは私だけだった。

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2011年液状化現象で壊滅的被害を被った稲毛の浜、現在元通り‼

あれから10年

2008年8月、不動産バブルがはじけ経済はリーマンショックで寸断され、未回収金が山となり、起こした裁判が終わり、失意の中新しい分野を開拓した。
あれから10年目の秋が来た。
切ない金木犀の香りと共に。

2020年に向かって建築業界は気がふれた様に突っ走っている。
少しは恩恵が合ったのだろうか。先月も過去最高を更新した。
疲れた、飽きた、こんなこと絶対に今まで無かったけど、もう沢山とまで思った。
体力が落ち、回復に時間がかかる。
夜も更けてさあ終わった帰ろうと思って明日のスケジュール表をWEBで確認する。今日中にやっておくべき事が2つ残っていた。
事務所の小さなキッチンの前の丸椅子に思わず座り込む。
手で頭を抱え、泣きたくなった。もう走れない、そうつぶやく。

こんなこと無かった、大好きな建築で生計を立てている。
それだけでも幸運なのに。
男には時々全てを捨てたいと思うときがある。
一切のしがらみを捨て自由に生きたい。体中、心の奥まで支配されるこの縛りから逃れたい。

いつもの電車を逃れ反対側の空いている下り路線に乗って逃げ出したい。
でもその先にあるものは嫌というほど自分で分かっている。
だからとぼとぼと前を向いて走り始める今日も。
これが幸せなのだと自分に言い聞かせて。

それでも夢の中で満たされない思いが噴出し、自由に空を飛ぶ自分が見えたりする。
いつも夢の中でも追いかけられているのだけれど・・。

本当に全てを捨ててしまった知人がいる。
1年前に人も羨む大企業の正社員の座と家庭を捨てて、行方不明になってしまった。
遠く旅に出て放浪の末に何かを悟ってくれれば良かったのだけど、
実際の彼は都内から離れられず、しがらみを背負ったまま、自分をひきずったまま、過去に縋り付かれたまま、ネット喫茶で夜を明かし続けた。

1年後金も意欲も失い夜の公園でホームレスになっているところを職務質問の警察官につかまり失われた妻が呼ばれた。

帰るべきではないのに、帰るところなど無いはずなのに帰ってしまった。

人の数だけ人生はあり、私には何も言えない。
周囲の独立した知人の多くは破綻し破産し命まで落としている。
それでも夢は追うべきだろうか。
国の世話にはならない、若い頃独立した者たちの合言葉。
30年後、年老いて力も失い川面に自らの影を映し、つぶやく。
何をしてきたんだろう、一体自分は。

いいんだ、生きてきた事が宝、試し全力でぶつかった事が生きてきた証。
もうこれ以上は問わなくていいのだ。そう思っても振り返ろうとする自分がいる。
悩み続けもがき続け、家族を守ろうとする、それだけでいい。
名前も過去の栄光も一瞬で水の中に溶けて行く。

光がそんな者たちを照らしてくれるだろう。
画像は上野公園から見る天国の階段。
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見守りカメラ

それは手のひらに乗るほど小さかった。
母のみまもり介護用に購入したウェブカメラ。
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右がいつも私が使ってる小さめの茶碗。
左がウェブカメラ、こんなに小さくても遠く離れた場所でスマホ管理できる、PCでは動きが遅いけど。

母は6年前に父が亡くなってから一人暮らしを続け認知症が強くなってきた。
先日も亡くなった三笠宮崇仁親王の新聞記事が壁に飾ってあったので聞くと
島津さんと葬儀に出席したという。あれれ。

そこで兄弟で相談し見守り体制を敷くことにした。
24時間緊急通報システムの導入、これは市から補助が出てアルソックが飛んでくる。
それとウェブカメラだ。
真相を知らせたら嫌がって電源を抜くだろうな、そう思う。
私だっていやだ。当初は玄関に置いて防犯と思ったけれど、来客も殆ど来ないので意味がない。
リビングではこちらも何だか監視中みたいでイヤだ。母にも尊厳はある。
最終的には台所、360度パンすれば他も多少は見えるという位置で落ち着きそう。
外観はカメラには見えない。通報装置だとごまかしておこう。

取り付けには電気工事もあり、かと言って大げさには出来ないし苦労する。
自分ひとりでは風呂の入り方も忘れてしまった母、誇りが強く絶対に認知症を認めない。
老人ホームには出来れば入れたくない。
今の家が気に入ってるみたいだし、一人で楽しんでるみたい。

体だけ元気、頭は・・・というのはどうなんだろう。
やがて来る自分たちの番が。気にならないと言えば嘘になる。
自信はない。最近物忘れが激しい私。
顧客の名前もすぐに忘れてしまう。
入り組んだスケジュールはウェブ上で管理しその都度書き換えている。
自作のソフトに守られてミスしないように警告が出るように作っている。
もっと年をとったら大雑把な創作が出来るようにしたい。
細かいことはええじゃないか!って言ってね。

旅は魂の道連れ

49日も終わらない内に旅行に行く。
良いのだ義父自身がそうしてきてるから何ら問題なし。

毎年旅行先で奥様の誕生祝いをしてきた。
今年は喪失感で気乗りしない奥様に代わりドンドン企画を進める。
シーズン中は1か月前でないと予約は取れないからね。
義父の喜びそうな場所、もし生きていたら今年は一緒に行こうと誘ったであろう場所をチョイス。

決まったのは妙高高原の赤倉観光ホテル。
何でも雲海が見られる場所だそう。
でも現地に着いてからバスの運転手に聞いたら6、7月に数日だけ出現するそうな。
それでもいい、仕事に終われノルマに尻を叩かれ自分自身に鞭を打ち続けることに疲れたから。

人生は劇的に変わってくれない、天国が直ぐに訪れるわけでもない。
気が付くと柔らかい褥に包まれている、それを期待するだけ。

現地では2週間も雨が続きやっと晴れた、そんなとき我々は着いた。

建築的にはどうってことない、日本最古の観光ホテル、。
旧館だけ見るとレトロ感漂う感じ。
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こちら正面、スキー場の下から見上げてる。
右側に少し見えている部分が新館、個室露天風呂がここからも丸見え。

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こちら裏側から旧館を見る、玄関の大きな庇が見えている。
中央に飛び出しているのが〇〇、よう分からん、展望台のつもりか?
国立公園では高さの制限が厳しい、でも物見塔は除外される。
そこで設計者はとりあえず作ってみたのだろう。
これに似たのは富士山の見えるホテル・マウントフジにあった。

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部屋から見える景色はこんな感じ。
足元の水盤の下になだらかに続くスキー場の斜面、その向こうに見える連峰が墨絵のように浮き上がり変化し、雲と共に流れていく。
・・・待てよこの水盤の意味は本来足元を見えなくして水が宙に浮いた感じを演出する為のディテールのはず。

ま景色良ければ全てよし。
久々にテラスに座りっぱなし景色に見とれっぱなし、を楽しむ。

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ロープウェイの発着所から見上げたホテル。歩いて上り下りできるとばかり思っていたのだけれど、高さと距離が・・。
仕方なく毎回シャトルバスのお世話になる。

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部屋の中はこんな感じ、テラスから逆に中を見る。
新館は59㎡と通常の2倍。
おかげでベッドとリビングが別々になる。
ソファも家具もリッチ感たっぷりで良い。大きなソファで久々に自宅のようにくつろげる。
これで完璧かと思われた。
しかし構造的に致命的欠陥をかかえていた。

新館増築時に客室の上に大浴場を載せてしまった!のだ。
これでは天然温泉成分による設備的、構造的劣化がやがて押し寄せる。
だけでなく脱衣室の遮音が十分でなく、部屋によっては夜の12時まで上階の足音がひっきりなしに聞こえる。

2泊目の部屋は女風呂の浴槽の真下、こちらは静か。
防水処理により通常の2倍となったコンクリートが音を遮断してくれる。

この際コスパがどうこうとは言わない。
料理が・・・とも言わない。
リゾート本来の立地条件とは何かを本格的に教えてくれるホテルでした。
雲海はほぼ見えないけれど遠い山並みに掛かる水蒸気の雲が示唆してくれる。

食事ごとにテーブルの上に義父夫婦の写真をそっと立てかけておいた。
山歩きが好きで入院する直前まで高尾山に登っていた義父に二人で話しかける。

きっとこう言う。
あ~なんて気持ちがいいんだ。
これだよこれを見に来たんだ、と。合掌。

いざなう声

ここのところずっと慌しかった。
義理の父親が亡くなった。私はこの人が好きだった。
2年前に先に逝った義母のことも勿論大好きだった。
自分の親よりも妻の両親が好きだった。

人として素の自分を語りお互いを認め合う、そんな当たり前とも言えることが八王子の妻の実家では出来た。
心が休んだ。疲れた体と心を少しずつ開放できた。
どう、最近?。その一言で救われた。

その義父が亡くなった。
義父が入院したての頃見舞いに八王子に泊り込みで行き、義母の位牌の前で手を合わせる。
途端には義母が飛び出してきて義父を呼んでいる。
「あんた、こっちこっち、ここよ早く来なさい。」
座っている自分の左側の座布団をばんばん叩く。
凄い勢いだ。そうかあの世から呼んでいるというのはこんなにも激しい事があるんだ。
唖然。
言い終わると義母はいきなり祈る私の方を見て、「あなた達は生きなさい。頑張って。」
そして消えていった。義母の命日の直前の夜だった。

翌朝、またしても義母は祈る私の目の前に現れる。
義父の方に向いて
「早くしなさい、こっちよ」と今度は自分の右側の席を叩く。
次いで「こっちもあるわよ」と左側の座布団を叩く。

何で左から右なんだろうと思う。すぐに消えた。

その1週間後に義父は旅立った。義母の命日から10日間が経っていた。義父は精一杯抵抗していたんだろうか。
亡くなるわずか1ヶ月の間に体調は急変していた。
そのちょっと前まで元気に山登りしていたのに。

義父が入院して数日後意識を失ったと妻から連絡を受けた直後に
義父は私の目の前に現れた。
ぼんやりしたブラウン管の白黒の映像のように。
丁度スーパーで買い物が終わりレジの後ろでポリ袋に詰めている時だった。
手に買い物のペットボトルを持ったまま固まる私に
義父は丁寧にお辞儀すると
「今まで有難う世話になったね。元気で生きなさい、娘をよろしく」
最後まで律儀な人だった。
私は誰にも見えない影に向かって、無人のガラス壁に頭を下げた。
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微熱が続く

以前は疲労から微熱が続いていた、今のは昼間は元気で夜寝る前になると体温が上がる、まるで壊れたからだの組織を修復するかのように。
今日ジムから帰ってきてフト思った、筋肉組織が壊れるんだっけ、それの修復だと。
今までは家でせいぜい週に1回、ダンベル運動を8セットもやらずに疲れてひっくり返る。重量は40キロ程度だ。

でもダンベル運動は有酸素の運動ではないので持久力がつかない、ここのところ仕事でもひどく疲れやすく集中力が落ちている、ヤバイまずいよ、我々の仕事は正確さとスピード、間違えたら2度と仕事は来ない、ここのところヒヤヒヤ体験が頻発してる。まずい!

それで始めたジム通いのはずが体組織の修復が追い付かずに発熱じゃね。
謎は解けた。
家での回数の2倍以上をこなし、最後にランニングマシンで10分走ると息も絶え絶え、汗かきの干物みたいな妙な生物となって家にたどり着く。

それでも痩せたと喜んでる自分がいる、あれ当初の目的と違うぞ。

健康であること、自分で仕事をしてる人は物凄く意識してる。
自分で自分に給料を払い、厚生年金と健康保険料を2人ぶん払う。

先月数年ぶりに時間をとって健康診断をした。
どこも悪いはずはないとタかをくくっていたら衝撃的な通知。
心電図に異常あり精密検査を要すると。
奥さまが心配するする、そのうち今から入れる生命保険を調べ始めた!ナニソレ?
別の大きめの病院で精密検査を受け計3回通った、結果は、普通の人より心臓は丈夫、何の心配もないと、ソリャソウダ心臓に異常があればランニングマシンは無理や。

これで心晴れるかと思いきや、秋でもないのに日々の切なさ、通りすぎる時間がいとおしくて出来るものなら抱き止めたくなった。
朝事務所に入り窓を開ける、20年間も生活を支えてくれる場所がある、何て有りがたいのだろう。

見下ろす上野公園の深まり行く緑、流れていくうろこ雲、低く飛び交う白い鳥の群れ、いつも変わらずに見続けてきたものが愛おしい。
時間の中に浮かぶ自分、流されていく、ここに浮いている自分がこれまた愛おしい。

大事な時間、大事な人、全て意識しながらこれからも生きていこう。
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老人ホームへシャワーに

この文句が定着しそうなわが家。
近くのジムに汗をかきにいくのだが、こんな表現になりそう。

ジムといえばセレブの集い、のイメージがあった。
トレーニング中の矢沢永吉に近づいてきた小林武が何気なく
こんどのAPコンサート一緒にどうですと誘う、そんな光景すらちらつく。
期待感がいやが上にも高まる。

ところが25年ぶりのジムはそんな淡い期待を吹っ飛ばしてくれた。
まさに老人ホーム、年寄りのリハビリ天国。
綺麗な女の子の筋肉質の胸から滴る汗、真っ白な歯を見せて駆け寄る爽やかなトレーナー、彼らはどこにもいない。
ここは看護士養成所か?

私の居場所は何処だ?

若者が多いジムだと気後れする、
自分より年寄りが多いと気遣いする。
するとやっぱりここしかないのか。

こうしてジム通いは汗と涙で始まった。

5月の風は消えたけど

5月も2週間が過ぎてよりゆっくりと過ごせると思ったのは幻か。
僅か2日間で今月のスケジュールは埋め尽くされ繁忙の只中に突入。
また1年が始まる。仕事漬けの日々、仕事がなく不安と焦燥に焼き尽くされていたあの頃は遠い過去。
今は上野公園の美しさと流れの中に身をおいている。

所属する学会の会員規定に過剰な営業を戒める文章がある。
武士は食わねど高楊枝、である。
私は少しでも時間が空くとダイレクトメールを作り、さっさと送る。見知らぬ誰かの琴線に触れるように。

今回もそれをやった。
お陰で本物の楊枝をくわえ続けている。

古い古い仕来たりである。士業である者は営業活動を慎むべし、特に建築においては、である。
今は歯医者さんから税理士弁護士誰でも営業する。
元々営業活動が苦手な人が士業に参入しているのかもしれない。

私もそうだった、今も人と会うのは苦手、宣伝営業などもっての他である。
でも私にはもう一人の自分がいる
打つ手もなく疲弊し絶望に身を捩る自分を尻目に、まるで恐れを知らないかのように立ち上がる影。

そんな存在に最初は驚いたけど、今はすっかり慣れてしまった。裏と表、2つで1つ。
人は誰でも相反する両面で成り立っている、もう一人のあなたは何時でもそばにいて手をさしのべようとしている。
人格が強く固まった人ほど、その傾向は強いのだろうか。

GW10連休 下田へ

GWもまだ5日も残っている。
4月に入ってから予定通りに暇になった。
生涯消えないのではと思えた疲労感が少しずつ嘘のように消えて行った。
眼科で貰った2種類の点眼液をいくら垂らしても止まらなくなってしまった瞼の痙攣も波が引くように収まってきた。
5月の光に包まれている。幸福感に包まれて眠っている。
こんなこともう経験できないと思っていた。疲れ果てた心と体のまま一生を終えるのだと覚悟していた。

でも癒しの時はやって来た。
GW初日は久々の伊豆下田へ行く。
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ホテルは下田プリンス。10年以上前に近くの伊豆急に泊まった時に散歩中に偶然見つけたホテル。
何て古臭い、洗練されていないホテルだろうとそのとき思った。
それでも波に向かってぐいぐい押し寄せる躍動感と気迫を感じた。
中に入ると天井も低く押しつぶされそうな圧迫感がありここには泊まらないな、当時はそう思った。

気になって調べると黒川紀章の設計だった。

今回下田近辺の宿を調べていて、まだ空いていて泊まれそうなところの候補に挙がって来た。

昨年全室リニューアルしたらしい。ならば何とか見られるものになっただろうと予約する。
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部屋は最上階の良い部屋のはずだった。
リニューアルしきれてない。
部屋は33㎡と広いのに予算が無かったのか?
はたまたセンスが無いのか。
天井が今時リシン吹き付けのままかい。
ここ30年は見たことが無い。
風雨にさらされた汚れた屋外にいる気分にさせられる。

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白浜は期待よりも少し汚れた程度。
パウダー状に舞い上がり目をちくちくさせる。
2日間とももの凄い好天に恵まれ、昨年の結婚25周年で廻ったほぼ全てで曇天と雨に祟られた日々を忘れさせてくれた。

もういいんだ。休んでもいいんだ。建築と仕事の神様がくれたギフト。
頭の中にワイルドワンズの白い渚を響かせ、目で波と戯れた。
遠い記憶と今までの自分の仕事の日々が打ち寄せる波と共に襲ってくる。
全てを受け止め反芻する。隣で奥様が笑う。いつでもずっと一緒だったと。
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黒川記章のコメントがホテルの廊下に貼ってあった。
パチリ写す。以下がそれ。
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私はかつて白浜によく来たものだ。
白浜神社に宿をとり、大いに英気を養い、明日の構想を養ったところでもあった。
どこまでも透きとおった海、波に浸蝕された岩々、 真っ白な砂浜、それに自生した様々な植物。
白浜の自然は今も昔と少しもかわらなく美しく感動的だ。大きく広い砂浜がどこまでも続き、白浜神社が穏れる程、生い繁った森を過ぎると、すぐなだらかな斜面のつづく小高い丘にでる。そこから海の方へ目をやれば大島をはじめとする伊豆七島が浮かび波が白く砕けるあたりには黒々とした岩肌が海へ向って斜めにつきささっている。 この地区は国立公園特別地域に指定されており、 その自然の美しさは、この附近に類を見ない程、 雄大かつ繊細である。
この地方独特の砂左に繁る這柏慎を踏みしめながら、なだらかなスロープを散策するうちに、建築はすばらしい位置を得た。 ヒントになったのは2つのほどよく南北に離れて 横たわる小高い丘である。ホテルの客室棟を2つ に折り曲げ、2つの丘がつくっていた等高線沿いに南北に配置した。海抜18m。丘の高さは31m及び36m。 自然の条件を最大限に保護したかったからである 国道側から見れば2つの丘は昔のままの姿を残すだろう。建築はこれらの丘にそっと肩をなでられるように静かに海へ向って折れてゆく。 これらのあいだに3つの石臼形のパブリックスペ ースを低くおさえて配置した時、建築は自然の中で生き生きと調和するはずだ。
ここで採用した壁式ラーメン構造によって全ての客室は柱がなくなり、広さもゆったりとれ、海への開口を大きく確保することができた。又、雁行し独立したバルコニー、25cmある分厚い壁、各部屋毎に設けられたパイプシャフト等によって、客室のプライバンーが確実に保たれる。 海をいっぱいにとりこんだ広いレストラン、落付いたラウンジ、いきなバー、海を見おろすセミナ ールーム等、南伊豆特有な自然の中に風格ある本格的リゾートホテルとなるだろう。
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この若々しい黒川さんの顔!自信と意欲と未来への期待に溢れている。
若い頃の私は彼らのこうした建築へのコメント解説を宝物のようにして守り咀嚼し栄養にして育った。

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