私が一碧荘シリーズで一番心打たれた写真です。
MSさんの父上はすごいですね。 前回からずるりと屋根の南端まで移動し、パチパチとパノラマを写されました。(全て私の推測です) 落ちる恐怖よりも、良いアングルで撮りたい欲求が勝ったのでしょうか。 いずれにせよその勇気に感謝!! GOTOさんのこの写真の返礼のようなアングルです。 http://aatama.saloon.jp/ashibetu/nisiasi/ippekiso-from%20higasi2-4.html 皆様、写っている炭住の正確な位置を教えて下さい。空き地のことも。 2014/10/17(Fri) 18:45:39 [ No.4888 ]
第2配給所の並びから、
右端が東2-4-18で、東2-5-3が空地ですね。 昭和40年の西芦俯瞰写真では、空地でないです。 左端が、すると駐在所らしい・・・ 2014/10/18(Sat) 16:23:17 [ No.4889 ]
私が住んだ21号の長屋があります。
唯、時代は私が引っ越した昭和35年以前と思われます。 空き地はありませんでした。 光る屋根の便所を挟んだ道路の向かいの塀に囲まれた住宅は警察関係の住宅です。 ここの子供達(女の子)とはよく遊びました。 21号の一舎は藤井さんというお宅だと思います。 子供が5人、夫婦2人、おじいさんが住んでいました。 おじさんは豆腐屋さんです。豆腐を売るためリヤカーを引いていました。 私は2舎で三角納豆を良くお宅に10円位?もって買いにいきました。私は親父よりかなり身長が高いのは此処の納豆を食べたからだと思います。 3舎の田中さんは千葉に引っ越しましたが今でもお付き合いさせてもらっています。4舎の大森家は川端から同時期に引っ越し、此処も子だくさんで5人位いたと思います。 同級生がいて悪い遊びばかりしていました。 とにかくめちゃくちゃ懐かしく、とにかく有難うさんです。 2014/11/03(Mon) 00:08:21 [ No.4897 ]
東2条4丁目21号の住宅物語ですね。
楽しい話をありがとう御座います。 2014/11/03(Mon) 11:21:53 [ No.4899 ] |
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