これで三井芦別鉱業所病院の東西北、三面が揃いました。
全てパノラマという豪華布陣。 全て百年記念館プレゼンツ。 今回は裏側ということもあり解説付画像としました。 よ〜く見ると、秋津寮との連結位置が平面図と異なっていることに気付きました。眼科の辺りで繋がっています。 そこで平面図を訂正しましたぞ。 2013/07/14(Sun) 17:34:54 [ No.4292 ]
平面図にコメント戴きました!
盲腸の手術、という事は手術室を見てるね(=^・^=) 2013/07/14(Sun) 22:16:40 [ No.4293 ]
私が小1の頃(昭和32,3年)虫歯で一坑病院の歯科に掛かりました。その場所は病院平面図の耳鼻科の前の医局あたりだと思います。この時は1本の奥歯の虫歯治療でしたが1ヶ月位毎日通いました。お陰様でこの奥歯は30代まで何の問題もありませんでした。今通っている歯科医院は1本の治療は2日位で、もう何本も治療後1,2年でガムと一緒に抜け落ち再治療となってます。当時の技術は今と比べものにはなりませんが日本人本来の真面目さ治療の本質などを感じます。
病院の平面図UPありがとうございます。当時病弱な自分にとってとても懐かしい思い出です。今も頭が弱いのは続いてます。 2013/07/16(Tue) 11:27:22 [ No.4294 ]
医局のあたりですね。有難うございました。
次回図面に反映させます。 当時の写真を見て、意外と今と変わってないなと私は感じましたよ。 2013/07/16(Tue) 12:34:47 [ No.4295 ]
tamaさん
一抗病院の写真、懐かしく拝見しました 有り難うございます 私がここにお世話になったのは啓南高校一年の冬です。当時旭公園で、三井芦別鉱業所を定年でお辞めになり、スケート場をやっていらした剣道の師匠である柴田先生に、水を張ったばかりで真っ新のリンクで、しかも誰もいない貸し切り状態でタダで滑らせていただいたことがありました。 一抗病院に行ったのは時速60キロぐらいで滑っていたらヤッケの頭の風防がバタバタしていたこともあり、帰りのバスの車窓に映る自分の耳がダンボのようになっていて、完全に凍傷になり、その治療に行ったことが今思い出しました。 昭和41年の白樺町在住のことです。 私の耳は凍傷治療のこともあり、右耳が左耳と比べ少し変形しています(笑) 2013/07/17(Wed) 21:31:16 [ No.4302 ]
つよしさん、という事は当時の外科に入ったのですね。
若い頃の傷は思い出の絆ですね。 2013/07/18(Thu) 10:23:37 [ No.4303 ] |
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