桂沢とは、桂の大木が多くあったことに由来。池は、西芦別の開拓移住者らが昭和3年に農業用貯水池として造成に着手し、難工事の末、翌4年に完成した。灌漑面積は22haで、利用農家は7戸。用水の守り神として、松の木の根元に石に刻まれた水天宮があった。昭和14年に三井鉱山が一帯を買収し、用水源の使命を終えたが、水天宮は昭和38年に移設され、併せて竜神を祀るお堂が建てられた。同年、公園計画が立てられ、順次整備が始まり、48年には水道設備ができた。
もうひとつの逸話も。三井芦別草創期は、下請けの土木業者がタコ労働者等を使役していた。過酷な土木工事現場では、少なからず犠牲者が出た。あの祠は、水神と竜神を祀っているにもかかわらず、昭和期の終わりまで、祭礼日に僧侶を招き読経をあげていた。その主宰者は、土建業の経営者であり、祭礼は、そうした労働者の供養を兼ねていたものと理解される。 2014/07/26(Sat) 00:04:56 [ No.4784 ]
昭和51年か52年頃の夏の夕方、炭住で遊んでいたら近所の子が「桂沢湖で幽霊が出た!」と言って大騒ぎしていました。大人も含め複数の人たちが目撃したようで、翌日、桂沢湖へ「捜索」に出かけた記憶があります。うっそうとした森の中に湖?がありムカデの大軍を見るなど思い出深い場所です。
2014/07/26(Sat) 06:02:03 [ No.4785 ] |
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