第1弾は芦別市百年記念館提供の東3条5丁目から見た南側外観です。
この左に駐在所があったのでしょうか? このあとMS氏の父上が写した大量シリーズへと続きます。 初代から住んでいて一際愛着があったのでしょう、一碧荘を沢山写されています。 次回はMS氏提供の屋根の上から見た東3条から東2条の街並みです。 2014/10/05(Sun) 15:37:30 [ No.4881 ]
お約束の一碧荘屋根の上シリーズです。
提供はMS氏、撮影はMS氏の父上です。 一碧荘って、東1条から3条までの住宅のほぼど真ん中に位置し ここに上ると炭住街がぐるりと見渡せたんですね〜。 想像するに西芦神社側から見た俯瞰図は多々ありますが、逆方向は無い! そこで一碧荘の屋根に上って写してみた! どうして高価なカメラを持って急勾配の屋根に上ったのか 真相を聞いてみたいです。 2014/10/12(Sun) 18:06:59 [ No.4884 ]
山々と、屋根と炭住の並び、いい写真ですね。
私の母方の実家がもともとは東3条5丁目です。 母の兄弟姉妹がそれぞれ結婚独立して後、東2条3丁目へ転居したようなので、 この撮影年代が昭和32年頃だとすると、微妙です。ですが、 7年寮生活の親父はたぶん昭和31年まで一碧荘に居たので、MS氏の父上と面識あったかもしれないなあ。 2014/10/13(Mon) 16:12:11 [ No.4885 ]
父は学生時代器械体操をしていたので身軽だったのだと思います。
って、あんまり関係ないかも知れませんね。w 機械屋だし高いところは苦にならなかったのでしょう。 息子の私は高所恐怖症ですが・・・。w 父は昭和32年まで一碧荘に居たはずですから、恐らく塊炭飴吉さんの お父様とも顔を合わせていたのではないでしょうか? でも、あの大きさですから一体何人住んでいたものやら? 実は一碧荘の集合写真等も残っています。 確かそれも芦別へ持参したはずですから、お二人は目にしているかも? 2014/10/13(Mon) 16:56:18 [ No.4886 ]
一碧荘の集合写真、昭和30年から32年の3枚ちゃんとありまっせ。
今回のシリーズで載せます。 確かmikiさんの父上も在籍していたそうな。 結構、知り合いも写っているかも。 2014/10/13(Mon) 21:25:30 [ No.4887 ] |
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