頼城、それも山手を中心とした昭和33年前後の写真をお借りしてます。
20枚位ですが、どれも中味が濃く、西芦等と比べると個人からの提供が少ない頼城の資料がぐんと濃くなること請け合いです。 週末にスキャンして順次掲載させて戴きます。 takaさん、ありがとう御座いました!! 2015/02/03(Tue) 21:48:12 [ No.5051 ]
頼城の二坑会館前広場の画像です。こんなに広いとは思いませんでした。
芦労の集会でしょうか?安保とあるのであの頃でしょうか? takaさん貴重な資料をありがとう御座います。 これから頼城シリーズが続くことでしょう。 2015/02/07(Sat) 14:18:26 [ No.5053 ]
写っている炭住は9丁目の5,9,13,17,21だと思います。
炭住5の片方(奥)が中村さん、とても親しくしていました。我が家の向いになります。 我が家と同棟が熊谷さんで、確か三鉄に勤務、息子さんが兄と同級生だったかな。 お隣の棟2が小西さんで、私と同級生の親友がいました。 我が家が去った翌年1964年だと、なにやら市役所出張所になったようで・・・ 2015/02/09(Mon) 19:40:29 [ No.5055 ]
塊炭飴吉 さんのご近所ですね。
実は撮影年代の詳細は特定出来ていません。 takaさんからお預かりした写真には、昭和33年表記があったのでそちらに近いかも、です。 2015/02/09(Mon) 21:04:37 [ No.5056 ]
昭和33年ですか・・・
昭和31年以降だと国内炭は増産態勢に転じてますね。(スエズ動乱で中東石油が入手困難になった影響などで) 昭和30年以前の、最初の国内炭需要減の頃ではないと思います。 芦労の、安保条約改定(反対?)ってことは、新安保(昭和35年)への改定のことかなあ。 やっぱり昭和33年頃で正解のような気がします。 2015/02/10(Tue) 00:33:27 [ No.5057 ]
赤紙ーみいけの年表を見ると
http://www.miike-coalmine.org/akagami/akagami3.html やっぱり昭和33年か34年の10月16日でしょうか?? 2015/02/10(Tue) 10:46:33 [ No.5059 ]
動乱が収まると(昭和32年)、また輸送費が安くなったので、石炭から重油、国内炭から輸入炭への転換が加速。
で、さらに労働争議が再激化、という流れのようです。「合理化」事業団設立が昭和35年。 三井の場合は最初の石炭危機(昭和25年頃〜)以降、労組側の勝利が続いていたので・・・云々、ですよね。 写真の服装がやや肌寒くなった頃のようなので、印象では9月下旬から10月上旬かも、と思います。 あ 余談ですが 割烹着いいですね 2015/02/10(Tue) 14:14:22 [ No.5060 ] |
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