「失われた故郷 三井芦別」 街並再現計画
時は残酷な伴走者、旅人から若さを奪い、希望と最期は命まで持っていく。 心が帰るべき故郷はもう跡形も無い。それでも想い出を持つ者は幸いだ。 幼すぎてただ引き裂かれた者達には柔らかく甘美な記憶の寝床すらない。 もう一度、歩きたい、もう一度生まれた街を確かめたい、そのままの姿で。 2015/08/15(Sat) 18:21:44 [ No.5313 ]
いつもまだるっこしく感じる事。
どこで生まれたのですか、と聞かれた時。 旭川のちょっと下、ほら富良野の西、近く。 昔炭鉱があって、三井鉱山という会社があって、、 今はもう何も無くてジャングルですね。でも昔はね全部揃っていたんです。 大きな学校も病院も社宅も、町ごと作ったというか三井鉱山がね。。 どんな街かって?それはね。。。。。。。もうイヤじゃ。 ここを見ろ、と言う。それだけ。 2015/08/15(Sat) 19:03:47 [ No.5314 ]
>>どんな街かって?それはね。。。。。。。もうイヤじゃ。
笑わせていただきました そうなんですよ、どこから来たって聞かれて芦別って行ったら??ってなるんですよね 20年前だったら芦別っていったらすぐにわかってくれたのに 2015/08/16(Sun) 16:19:40 [ No.5315 ]
ここのところ法事づいているので、自分のお葬式で故人の紹介がうまくいかないじゃないのかなとふと不安になりました。
2015/08/16(Sun) 20:55:38 [ No.5316 ]
お久しぶりです。
確かに困りますね、自己紹介では北海道の真ん中辺で富良野の近く、とまず言います。 『ああ炭鉱の・・・』と反応がくれば説明しますが、そうでない様子なら切ります。 (東堂さん亡くなられたそうで、ご冥福をお祈り致します。 4年前でしたか、お庭の草むしりの姿を拝見したのが、最後となりました。) 2015/08/18(Tue) 20:21:28 [ No.5318 ]
東堂さんってどなたでしょうか?
2015/08/18(Tue) 21:56:55 [ No.5319 ]
あ すいません、映画の舞台のひとつとなった芦別永昌寺の元住職さんです。
芦別の歴史を知りすぎるくらい、知ってた方だと思います。 幼いころお寺でよく法事の時に食事しましたが、特に煮物が絶品で、おねだりしたものです。 千葉に引っ越したこともご存じで、祖母、母の世代にお世話になりました。 2015/08/19(Wed) 01:03:33 [ No.5320 ]
亡くられたのですか、18年前に父が亡くなった時に札幌迄お越し頂きお経をあげてくださいました。大変御世話になった方です。
2015/08/19(Wed) 17:46:06 [ No.5321 ] |
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