三井芦別鉱一坑バス乗り場。
1969年にそれまでの一坑人車運転を廃止し、バス通勤に切り替わった。 カラフルで明るいバスを降り、この狭くて簡易な入り口を下りて 職場に向かう人たちの気持ちはどんなだったのだろう。 「皆さん今日もご安全に」の看板が妙に明るい。 http://aatama.saloon.jp/ashibetu/kouzan/1ko-busstop1969-ashi.htm 2016/03/06(Sun) 14:31:22 [ No.5480 ]
昭和46年の三月に担任の先生を西芦駅から見送りました。
その後か…?も? 確かにこのカラーバスが時間関係なく走ってました。 停留所があるわけでなし。 知らない時間割が有ったのでしょうか? 一度、兄に聞いてみます。謎のバスでした。 2016/03/07(Mon) 22:57:01 [ No.5481 ]
西芦別の駅周辺から出ていたんでしょうか?それとも入山から?
各写真のバスのナンバーは共通ですね。 2016/03/07(Mon) 23:05:36 [ No.5482 ]
1、2、3番方の通勤時間に合わせて中央バスの山の手のバス停の向かいで折り返し
1〜7丁目各停留所で鉱員さんを乗せ1鉱坑口まで走行していました。 1鉱2鉱が合併してからは、頼城まで運行しておりました。 又福利厚生のために三井鉄道の代わりに芦別駅まえから午後10時か10時半の最終バスも運行しておりました。 2016/03/08(Tue) 13:53:59 [ No.5483 ]
わーmasakiさんありがとうございます。
早速本文に入れとかなきゃ。 2016/03/08(Tue) 21:30:00 [ No.5484 ]
いや〜懐かしいですね。
小学2年まで住んでいた家(東1条1丁目)の近くにバスの車庫があったので、しょっちゅう行ってバスを間近で眺めていました。 確か10台ぐらいあったような・・・。 2016/03/13(Sun) 12:27:34 [ No.5485 ]
通勤用のバスはそこに停めてあったんですか!
メモしとかなくちゃ。 2016/03/13(Sun) 18:21:04 [ No.5487 ]
サイト内の画像を拝借しまして、バス車庫の場所を表示してみました。
黄色のマルの建物です。 この建物自体は現在もあるはずです。 ちなみに、2)に写っているバスのうち左からナンバーが「207」と「220」の2台は実物をハッキリ覚えています。 確か僕が小学校に入学する頃(1982年前後?)にも現役で走っていたはずです。 2016/03/13(Sun) 19:48:35 [ No.5489 ]
ここって旧病院のあったところでしょうか?
2016/03/13(Sun) 21:31:42 [ No.5490 ]
サイト内の西芦別「想い出地図」1985年版に、「三井石炭鉱業 車庫」と書かれて載っているのを見つけました。
まさしく、そこです(^^) 2016/03/14(Mon) 00:45:53 [ No.5491 ] 2016/03/14(Mon) 10:33:10 [ No.5492 ] |
- Joyful Note -
- Antispam Version -