無題 miyawaki 【2004/09/28 05:27:02】[返信][削除]
ありゃりゃ!おまさげなす!


ありがとうございました。 頼城小の転校生 【2004/10/06 05:02:51】[削除]
miyawaki様、お返事ありがとうございました。
ひょっとすると、中井貴一さんが出演されていた
映画ですか?
「壬生義士伝」見てみます。
ありがとがんした。

tamaさんへ
我が父も北海道時代は押入を現像部屋にして
白黒フィルムから写真を現像していました。
結構、昭和30年代では流行していたのかもしれませんね。
今で言う、パスポートサイズの写真もアルバムにあったように記憶しています。
けっしてケチではなく、反対に贅沢な趣味だったのではと思います。


Re:無題 miyawaki 【2004/10/06 14:18:08】[削除]
吉村貫一郎(中井貴一)正解!
壬生義士伝


Re:無題 miyawaki 【2004/10/06 14:22:38】[削除]
tamaさん、やっと一段落。PC小僧になってました。
写真、やはり現代とはおもむきが違います。昭和30年代の香りがします。おもさげない。


Re:無題 tama 【2004/10/06 21:24:41】[削除]
転校生さん、そうですかお父様も。
当時、かなり高価だったカメラと現像機を購入されてた方
結構いるんですね。勿論miyawakiさんところもそうだし。

そういえば、当時ステレオじゃなくて電蓄ってのもブームでしたね。我が家は毎日ベートーベン聞かされたっけ。
おかげで音感が狂った・・か?

miyawakiさん、楽しい時間トリップでしたよね。
大量の素晴らしい写真達と思い出にあらためて感謝です。

時々ここを覗いて、ほっと一息つける人がいる限りは
どんどん続行です。皆様ふるってご参加を!!


Re:無題 西中中退? 【2004/10/06 22:06:56】[削除]
我家も昭和30年代に父がカメラ・現像機一式を使っていました。パスポートサイズの写真が一部あるのですが、当時を知る兄の話では、6×6サイズのネガを赤いライトを使って日光写真のように印画紙に焼き付ける方法があり(小生は使っているのを見た事が無いですが、その木製装置は我家に現存しています)、その方法でポジにしたからとのこと。
家を建替える時にほとんどの機材を処分してしまいました。でも、ミノルタフレックスの二眼レフのカメラと馬鹿でかいストロボ等々のアクセサリーは当時のまま残っています。


Re:そうですか tama 【2004/10/08 18:28:06】[削除]
そういう方法があったのですね。
我が家はやたらとパスポートサイズがあり、
一方で大きな6つ切り?位の
引き伸ばし写真があり、と両極端でした。

二眼レフとはお宝ですね。
う〜むするって〜と、この掲示板の参加者の父親の多くが
カメラマニアってことでしょうか?すんごい。


Re:やっと見ました。 頼城小の転校生 【2005/01/08 19:28:33】[削除]
やっと・・・・やっと、
この年末年始の休み中に「壬生義士伝」を観ました。
「おまさげなす」がこんなにやさしくて、重みがあって
いい言葉だったんだと思いました。
 現在我が家では超ブームの言葉となっています。
その地方の言葉っていいですね。
 北海道弁もどなたか、教えてください。


Re:おもさげながんす tama 【2005/01/08 21:08:22】[削除]
そうですか!わたしゃまだ見てませんが・・・。
ここに居ますよ、おもさげなす氏は。
http://www.geocities.jp/yy38mm/


おもさげなござんした。 miyawaki 【2005/01/09 09:50:33】[削除]
頼城小の転校生さんへ
私のHPの独り言に北海道弁と南部弁のURL入れときやんした。まあ、ネットで検索すればでてきますが、いいのを見繕っておきやんした。yy38mm


Re:めちゃ感謝! 頼城小の転校生 【2005/01/10 21:18:15】[削除]
北海道弁のホームページを早速見に行きました。
どえりゃーおどれーてまった(名古屋弁です)
   「とても驚きました」ってことです。
実家の父母がよく使っている言葉がいっぱい出てきました。
そういえば結婚当初、つれあいに「おふろかまかしておいて」と言った時に「???」って顔されたことを思い出しました。実家では普通に使っていたのでなんとも思わなかったけれど「かまかす」が「釜貸す」と思ったらしいです。
そりゃ「?」っ思いますね。
方言って使っている場所と人の暖かさが感じられていいです。
 では、名古屋弁で・・・・
おみゃーさん達、ちゃっとホームページ見に行ってみやぁ。
どえりゃ〜おもろいでいかんわ。
(あなた達、早くホームページを見に行ってごらんなさい。とてもたのしいですよ。) 
 お粗末さまでした。

郷愁 西中S38年卒 【2005/01/09 21:51:55】[返信][削除]
こんにちは☆はじめまして
このサイトを見つけて、感激また動揺し40年の空白はいったいなんなのか・・・はかりしれない感慨に襲われています。全ての写真、掲示板のレスを拝見しそれぞれの記憶の点が次第に繋がり、まことに不思議な想いです。
北村邦夫さんの書き込みにかいてあったぁの崖・・・
私も崖を駆け下りてそろばんを習いに行ったのを思い出しました。


Re:郷愁 北村 邦夫 【2005/01/10 00:35:45】[削除]
新年おめでとうございます。おそらく私と同じ頃中学に在籍されたのですね。実はどんな学校生活だったのかきれぎれにしか思い出せないでいます。いまのところはまだショックがつながっているようで。また何かかいてください。

たまさんを始めみなさんの文章はひんぱんに拝見しています。今後とも活躍してくださいますよう。あなたがたがやっていることは多くの人間にとってどれだけ励みになるかわからないのです。

もしパリにおいでになることがあればご一報下さい。どなたでも結構です。お会いしたいと存じます。


Re:郷愁 tama 【2005/01/10 18:11:36】[削除]
北村さん、明けましておめでとうございます。
西中S38年卒さん、はじめまして。
何度も書いていただき恐縮です。

そうですか、全部ご覧になりましたか・・・。
最近では私も全ては整理把握できておりません。
これからも、どしどし書き込み、どうぞ!

昔も気になる 北村 邦夫 【2004/11/08 18:44:32】[返信][削除]
戦時中の朝鮮人中国人らの強制労働の実態が杉山四郎さんの本に載っていてその収容所が啓南橋の下付近の大曲というあたりで 昭和33年前後にごみ捨て場のがけを駆け下りてそこへそろばんを習いにいったのは私だけではないはず.遺体は芦別駅裏の旧墓地に埋められ東頼城の秀岳寺に記録が残っているとか.そういえば西芦駅前と町の両端の3箇所に見張り小屋というのがあった.捕虜収容所の実態についてはhttp:/comcast.net/~winjerd/POWCmpsJ.txtを参照.

事情がありまして! keizi 【2005/01/02 18:05:46】[返信][削除]
「googleで検索、発見しました。
思い出の旅(1)に最近の芦別訪問記事がのっていました。
もう削除されたあとでキャッシュで拝見しました。
最近の芦別を語る人は少なくとても印象的な文章でしたが
事情あって削除されたのでしょう。
是非もう一度公にしていただきたいと望むのは無理な事でしょうか。」の記事私のブログの日記の欄にありました。
中途半端で止めてしまったのですが、本日久振りにログインしてtamaさんが着てくれていたので感激しました。
実は私はtamaさんのこのHPにちょくちょく来ていまして存在は知っていました。
私はtamaさんより年上です。一回りは違うと思うのですが・・・
昭和35年に東京に出てきて昨年7月に初めて故郷の西芦に行ってきました。
その時の様子をブログに上げていたのですが、ブログ会社の不具合で更新を中止してしまったのです。
まさかtamaさんが見ているとは思いもよりませんでした。
因みに私は西芦別東一條二丁目二十号一舎に住んでいました。
良ければ時々昨年の事や昔の話をさせていただければと思っているのでがどうでしょうか?
HPの方は今企画中ですがちょっと時間がかかりそうです。


Re:事情がありまして! tama 【2005/01/04 11:18:10】[削除]
keiziさん、ご返事有難うございます。
あの文章を見て只者ではないな、と思っておりました。
実はあの文章保存してあります。印刷して一人楽しんでいました。

そうですか、プログの方が不調だったのですね。
是非是非、ここで話を聞かせてください。
今年はどうぞよろしくお願いいたします。


Re:事情がありまして! keizi 【2005/01/04 14:06:41】[削除]
返事ありがとうございます。
昨年の夏に芦別を訪ねたのですが、私の兄夫婦と私の妻の4人で行くことになり、美唄の従兄弟に案内を頼んだのです。
この従兄弟夫婦は昭和30年代に西芦別小学校の教諭をしておりまして、中の丘のアパートに住んでおりました。
行く前に姉たちから西芦は変わってしまい見る影も無いと言われていたのですが、自分の目で見なくては信じる事が出来ませんでした。
行ってみて思ったのですが、今住んでいる東京よりよっぽどマシで、喧騒とした都会の生活よりこの地に又住みたいと思ったくらいでした。
しかし当時の面影は全く感じる事が出来ないばかりか、ここに未だに住んでいる人たちはどのような生活をしているのか知りたくなる程でした。
それだけ私は都会に沈んでしまっているのかもしれません。
もっともっと見て歩きたかったのですが、行程が押してしまい、やむなく美唄に引き返したわけです。
当時子供頃よく行った裏山や青沼へも行って見たい気持ちを今でも持っています。
どこかで見たのですが、「あおむま」と言うのは私たち子供頃はジャンプ台に行く脇にあった大きな沼のこと言っていたと思います。
教会の前の沼は違う呼び方をしていたように思うのですが、この教会と言えば私の住んでいた社宅の並びの人が始めたもので、私もよく日曜日には出かけた思いがあります。
書き出せば切が無くなるので、本日はこの位で・・・


Re:事情がありまして! tama 【2005/01/04 14:34:34】[削除]
実は想い出地図の「青沼」は私があてずっぽうにこれかな?
という感じでプロットしたものです。
正確な位置がお分かりになれば教えて下さい。

ジャンプ台も位置が分かっておりません。
もし必要でしたらメールで沼らしき図がいくつか載っている地図も送りますが・・。

賀正 miyawaki 【2005/01/01 08:53:56】[返信][削除]
皆様、新年あけましておめでとうございます。建築猫たまさんのHPが益々充実しますよう期待しております。
 本年も何卒よろしくお願いします。


Re:賀正 tama 【2005/01/04 11:13:47】[削除]
昨年は大変大変、楽しい機会を与えていただきました。
今年もたっぷり楽しみましょう。
このHPが少しでも、一瞬の癒しになればこの上なく
うれしい事です。

謹賀新年 ケイセイ 【2005/01/01 08:30:20】HomePage[返信][削除]
 あけましておめでとうございます。
西芦別はどんどん消えていくようですが、
このHPはどんどん充実していくようで
期待しております。
 本年もどうぞよろしくお願いします。


Re:謹賀新年 tama 【2005/01/04 11:12:08】[削除]
明けましておめでとうございます。
ちと遅くなりました。
今日からぼちぼち、仕事始めです。
ケイセイさんもHPの更新、頑張ってください。

頼城シリーズ tama 【2004/12/11 15:08:56】[返信][削除]
SUGOさんによる頼城の懐かしい写真のシリーズが終了いたしました。
大変貴重な写真、缶一杯多くのプリント写真の中から選別していただきました。
ここに再度お礼申し上げます。
頼城には西芦とはまた違った雰囲気があり、興味深かったですよ。

住宅地図も作ったし、もうこれにて今年は・・・と思ったけれど
朝陽が丘はじめとする職員住宅の平面図も作ってしもうた。

いやはや、家の大きさにすごい差がある。
tamaの家は小さい方だった・・・。


Re:頼城シリーズ SUGO 【2004/12/13 08:59:36】[削除]
そうそう、二抗会館の写真は9月ではなく6月の
誤りでした、ごめんなさい。
稚児行列と同じ日でした。


Re:頼城シリーズ tama 【2004/12/13 11:05:47】[削除]
SUGOさん、二坑会館の写真は見れば見るほど迫力ありますね。
左側の白い象さんは何でしょか?

西町10丁目の住宅平面、下さい、下さい(笑)
頼城の炭住図面は、1タイプしか持ってません。
手書きのスケッチで充分ですよ。FAXで結構です。
FAX番号は・・・メールください。


Re:頼城シリーズ SUGO 【2004/12/13 19:33:56】[削除]
この象さん足に車輪があり、子供等が引っ張っていたらしいです。
この行列、頼城の各寺が毎年持ち回りで行う仏教行事で、
本来4月の花祭りに行われるらしいのですが、寒いので6月に
行われていたようです。(詳細は不明ですが・・・)

弟もこの衣装着ていたのを覚えているので、てっきり
家にあった物と思っていましたが、実はお寺で貸していた
物らしいです。誤りが多くてすいません。

西町10丁目の社宅平面、明日の昼休みに完成予定ですので
CAD-dataで送付しますね。


Re:頼城シリーズ tama 【2004/12/14 20:28:59】[削除]
いただきましたっ!
と、あわててUPしようとしたので、図面の文字大きくし過ぎちゃった。
今度直しときますです・・・。
お〜それにしても変わったタイプ。縦2列とでも申しましょうか。
2階に増築するってのもすごい・・。

SUGOさん、感謝です。
初めて自分以外の人の図面が載せられました。


Re:頼城シリーズ SUGO 【2004/12/15 08:46:04】[削除]
たしかに珍しいタイプだったみたいですね。
増築といっても屋根裏部屋で、部屋の端は天井が斜めに
なっていました。最初から2階増築が可能なように
屋根を高く作っていたのだと思います。

写真とこの図面で私の持ちネタもほぼ出尽くしましたが、
また頑張って探してみます。


Re:頼城シリーズ 西中中退? 【2004/12/15 21:09:29】[削除]
しばらく工事中だった西中のHPが再開し、校歌の着メロがダウンロードできるようになったようです。


Re:頼城シリーズ tama 【2004/12/16 10:53:59】[削除]
SUGOさん、どうも有難うございました。
良いクリスマスを!

西中中退?さん、情報有難うございました。
ななんと、校歌までばっちしある。
皆さんも見てみよう!
http://www4.ocn.ne.jp/~nisiasi/


Re:頼城シリーズ tama 【2004/12/16 19:55:43】[削除]
ついでに
西芦別中学の校長先生の個人的HP
http://www10.plala.or.jp/minorin/


Re:頼城シリーズ 西中中退? 【2004/12/31 00:25:33】[削除]
西中があと1年で閉校になるようです。
年の最後に大きなショックを受けました。
自然の流れなのでしょうが...


Re:頼城シリーズ tama 【2005/01/04 11:10:17】[削除]
え〜っ!!
何と、何と・・・。
そういえば幼稚園が閉園し、次は中学、残るは小学校ですか・・・。

皆様よいお年を tama 【2004/12/29 20:19:41】[返信][削除]
今年は、たまの望郷ページにとって大飛躍の年でした。
岩粉撒きさんはじめ、本当に多くの人達から
情報や資料等を大量に戴きました。
御蔭様で非常に充実したページになってきました。
大変大変、有難うございました。

来年明けましてから、またご挨拶いたします。
それでは皆さん良いお年を!!
しばし更新が停まりますので、まとめてUPしときます。

新たなる素晴らしい1年を迎えて下さいね。ではでは。


Re:皆様よいお年を miyawaki 【2004/12/30 08:16:20】[削除]
tamaさん、岩粉撒きさん大変お世話になりました。
来年も新たな更新期待しています。
ありがとうございました。
良い年をお迎えください。

初めまして 名無し 【2004/12/29 11:38:13】[返信][削除]
tamaさん初めまして。ホームページを拝見させていただきました。
名無しです。芦別には仕事で4年間いただけですが,すごく懐かしいところです。
北海道に対しては富良野のようなイメージが強かったので,芦別の炭鉱の町はいろんな意味でカルチャーショックでした。
過去の賑わいを知りませんので,既に廃墟となった炭鉱跡を見ては何やら不思議にせつなさに似た感情を感じていました。芦別を離れて3年になりますが,tamaさんのホームページを見ながら懐かしさがこみ上げてきて感激しました。私でさえこうなのですから,炭鉱時代の華やかな時を過ごされた方は尚更感ずるものが大きいことでしょうね。芦別,不思議なエリアですね。


Re:初めまして tama 【2004/12/29 13:59:54】[削除]
ど〜もです、たまです。
3年前に離れただけで、えっ、そんなに懐かしいとは・・。
確かに炭鉱の街芦別は不思議な雰囲気を持っている、いや持っていたようです。
10年前に初めて訪れた叔父は、廃墟となった炭住を見て
茫漠たる空虚感が襲ってきたと記しています。

建物には不思議とそこに暮らした人々の哀切が染み込んでいます。
少しでもその雰囲気を感じて頂ければ望外の幸せ・・・。

SASAYAさん tama 【2004/12/27 13:29:09】[返信][削除]
最近のインタビューのようです♪
http://www.gks.co.jp/y_2001/interview/talent/sasayananae.html