中の丘側から見た工事中の緑泉大橋。
工事中に付き通行禁ずの看板。 手前が幸町、奥が緑町。道路が右に曲がる手前に郵便局があるはず?。 遠く緑町アパートの白い姿が見えている。 橋を渡って右側、芦別川に降りる途中にも住宅がある。 S32年頃 http://aatama.saloon.jp/ashibetu/rokusen/rokusen-ohashi-1957-ashi.htm 2017/09/30(Sat) 10:48:42 [ No.5913 ] |
「緑泉のブランコ」は
3年前に亡くなられた故厚床氏のHPタイトルです。 その後、ブランコの写真を厚床氏のお兄様から戴きました。 私は勘違いしていました。この写真はとっくに厚床氏が自身でHPに掲載済みだと思っていたのです。 でも、そうでは無かったようです。このタイトルにある想い出深い写真は無かったのです。 ここに慎んで掲載させて戴きます。 併せて氏のHPの保存も兼ねて「緑泉」ページのみ当芦別物語で自主掲載させて戴きます。 天国の厚床さんに捧げます。 http://aatama.saloon.jp/ashibetu/rokusen/rokusen-blanco-atsutoko1954.html 2017/09/16(Sat) 13:11:53 [ No.5902 ]
私は5歳の頃より中3の途中まで旭町2丁目で過ごしました。
なので、芦別の中でも一番思い出が詰まっています。 その旭町のことを詳細に記録として残してくれた 厚床さんに、ただ、ただ感謝の思いです。 機会があれば厚床さんの名前の由来となった 花咲線の厚床駅を訪れたいと思っています。 2017/09/18(Mon) 11:10:57 [ No.5903 ]
すみません、上の投稿、名前間違いました
正しくは緑泉小僧です 2017/09/18(Mon) 11:15:19 [ No.5904 ]
緑泉小僧さん投稿有難うございました。
旭町の資料少ないですよね〜。厚床さんに感謝です。 2017/09/18(Mon) 12:09:22 [ No.5905 ]
緑泉のページの保存のためにこのように掲載していただきありがとうございます。
緑泉のブランコは現在管理パスワードが行方不明でそのままになっています。 ですが、皆さまの御心に少しでも残るものがあれば、思い出を共有していただけるのであれば、本人も喜んでいることと思います。ありがとうございました。 大阪より感謝をこめて。 2017/09/23(Sat) 22:08:32 [ No.5906 ]
初めまして、管理人のtamaです。
奥様からも連絡がいただけるとは正直予測しておりませんでした。 有難うございます。 厚床さんのお兄様からも連絡いただき資料も戴き、 幼馴染の画家の方とも厚床さんに代わりに何度かお会いし展示会にも行って来ました。 お父様に教わったという方たちも何人もおります。 そして今日は奥様とも。 資料提供者の方と実際にお会いする事はまれですが、厚床さんとお会いしたあとはああすれば良かった、こうしておけばと悔やむ事しきりです。 パスワードが無いのでしたら今回のように丸ごと保存して別のフォーマットで作り直すしかなさそうです。 あと1ページくらいやってみます。 この度は有難うございました。投稿感謝いたします。 2017/09/24(Sun) 11:14:56 [ No.5907 ] |
頼城薫風寮は長いこと幻でした。古過ぎて写真が全く無かったのです。
それが三井芦別労働組合が撮影した写真が見つかり初の資料となりました。そしてnishimoto氏によるこの写真が2枚目です。 完成直後の1950年頃でしょうか、薫風寮の玄関軒先に箱が取りつけられ造花が張り出しています。 山神祭の飾りでしょうか。 貴重な資料を提供された90歳のnishimoto氏に感謝いたします。 http://aatama.saloon.jp/ashibetu/raijyo/kunpuryou%201950.html 2017/09/02(Sat) 09:37:03 [ No.5899 ]
nishimoto氏より写真の内容について詳細なメールが届きましたので本文に掲載しております。
滅多に無い貴重な写真です。 有難うございました。 http://aatama.saloon.jp/ashibetu/raijyo/kunpuryou%201950.html 2017/09/09(Sat) 09:43:11 [ No.5900 ] 2017/09/09(Sat) 10:04:42 [ No.5901 ] |
nishimoto氏より送られてきた貴重な画像。
完成直後の1955年に入居した西町アパート屋上からの写真。 目の前に威容を見せつけているのは何と二坑分院! こういう風に見えたんだ、と感慨ひとしお。 http://aatama.saloon.jp/ashibetu/raijyo/nishimachi-ap1goto1955.html nishimoto氏とはここ1ヶ月くらい何度もメールやりとりし、郵送で写真を送って戴きました。 氏は御年90歳でPCでインターネットを閲覧しメール作成もこなされます。 昭和22年から昭和34年まで二坑に勤務されていた方です。 街並み写真は多くはありませんがあと1枚皆さんに公開できると思います。 こうして貴重な写真の公開が出来た事、本当に感謝いたします。 2017/08/27(Sun) 13:08:23 [ No.5898 ] |
S37年卒園の工藤です。あまりの懐かしさに感動です。
-------------------- 項目:保育園-白樺分室 1957年 日時:2017/8/25(金) 23:04 -------------------- http://aatama.saloon.jp/ashibetu/yamanote/hoikuen-shirakaba02.html 2017/08/25(Fri) 23:14:35 [ No.5897 ] |
1967年7月24日 夏休みのある1日、芦別ホームにて
旧型貨車保存図鑑 編集部様提供 Aiによる参考着色です。 http://www.FreightCar.jp 拡大画像はこちらで。 http://aatama.saloon.jp/ashibetu/tetudo/ashibetu-eki.html 2017/08/19(Sat) 14:17:39 [ No.5896 ] |
tamaさん、全てエラーです。
気にせず続けて下さいね。 こっそり読ませて頂きます。 2017/08/18(Fri) 20:30:47 [ No.5894 ]
思い出した!
余りにもしつこく中国投稿が来るのでシステムから コメント投稿システムそのものを削除しました、 結構前の事です。 ごめんなさい忘れてました。 2017/08/18(Fri) 22:27:30 [ No.5895 ] |
というのがありました。
表紙は芦別物語からの無断掲載です。 何故分かるかって?わたしがクロウシテ合成した画像だから。 https://m.youtube.com/watch?v=sA1SPx85btQ# 視聴限定してるようなので興味あるかたは作者に連絡してみよう。 2017/08/14(Mon) 09:49:36 [ No.5893 ] |
頼城ボーイさんから応援メッセージです。
いつも応援有難うございます。 http://aatama.saloon.jp/yybbs/yybbs.cgi 2017/08/13(Sun) 10:17:34 [ No.5892 ] |
1962年9月の二坑ホッパーの画像です。
玉川へと向かう三井芦別鉄道が走っている珍しい構図。 例によってAiによる着色をしています。 白黒原画は下記からどうぞ。 http://aatama.saloon.jp/ashibetu/raijyo/ashibetu-raijyo-sentanki.html 2017/08/11(Fri) 19:21:37 [ No.5889 ]
tamaさんお久しぶりです。本日からお盆休みです。
走行中の客車は頼城構内を2番線を玉川駅に向けて走行している所じゃないでしょうか?ちなみに積み込みポケットが6〜 7番線でした。 2017/08/11(Fri) 19:51:55 [ No.5890 ]
有難うございます。masakiさん。
夏ばて気味の私。エアコン病でしょうか。 2017/08/11(Fri) 21:48:42 [ No.5891 ] |
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