白黒に色をつけるのもマンネリ化してきたと感じるこの頃。
大体こんなことやってるサイト他にあるんでしょうか? やっぱ変わってるよね、自分でもよく14年間も続けていると思います。 暇なわけでもなし、.. 黄金もあと1枚で終わりの予定です。 別に学術的意味もなく、ただ並べているのかというご指摘も有りましたが、深層心理学的に言う、表象の存在自体が答えなのでしょう。 理性的に何かの結論を求めているわけでなく、そこにあるものこそが目的そのものなのでしょう。 何やら人生に似ております。 Googleのストリートビューのようなものを10年前から目指して進めてきましたが、考え方を変えました。 違う観点から風景を構築する方法を思い付いたのですが、寝ているときだったので起きたら忘れてました。 旅はまだまだ続く?? 2015/09/05(Sat) 23:53:12 [ No.5332 ]
スミマセン、昔から「新北辰炭坑」という名称だったんですね。
単に看板を設置したのがS46年頃ということなのかも? 2015/09/11(Fri) 23:18:13 [ No.5333 ]
この炭鉱はネットでも殆ど出てきませんね。
MSさんのお父様が看板設置されたのは確実でしょうから あとは?? 2015/09/12(Sat) 11:24:34 [ No.5334 ]
『違う観点から風景を構築する方法』なんだかすごく気になる
ので寝てください。そして記憶をよみがえらせてください。 2015/09/13(Sun) 23:36:09 [ No.5336 ]
大丈夫思い出しました。試しに部分的に作ってみましたが、すごい表現で言うほどではありませんでした。
寝てるときは凄かったんだけど、、、 2015/09/15(Tue) 21:59:19 [ No.5337 ] |
「伸びゆく炭鉱三井芦別」はyoutube上の「限定公開」設定にも拘らず、それを貼り付けてあるHTMLページが検索で表示されていました。
当然と言えば当然ですが、今までそれに気付きませんでした。 大元のyoutubeが限定公開だから外部から入れるとは思っていなかったのです。アホでした。 まさか一般公開になってるとは・・・。 今からでは遅すぎますが、取り合えず対策を考えますのでしばらく非公開とします。 ご迷惑おかけします。ペコ。 2015/08/29(Sat) 22:12:01 [ No.5330 ]
とりあえず検索エンジンをはじく為の
robots.txtを設置しました。 google cashに残っている奴が消えるまで待たねばなりませぬ。汗・・。 2015/08/29(Sat) 23:36:11 [ No.5331 ] |
と言うんだそうです。
三井黄金坑の後を継いだのでしょうか?詳細不明です。 どなたか教えて下さい。 今回は坑口の写真です。3連発。 昨日まで遅い夏休みをとっていたtamaでした。避暑地に行ったはずが帰ってきたら関東も涼しい! 2015/08/26(Wed) 12:05:44 [ No.5323 ]
毎度のことながら、無沙汰しております。(^^ゞ
新北辰炭坑になったのは私が黄金に居たとき・・・なのは間違いないんですが、時期ははっきりしません。 おそらく昭和46年だと思います。 道道の東黄金方面とのT字路に今でも看板があると思いますが、その看板を立てたのが父でした。 いや、立てたのではなく既存のものを更新しただけかもしれませんが、当時それは「新北辰炭坑→」の看板で、横を通過する度に看板を作製したようなことを話しておりましたので覚えています。 その頃から閉山の噂はありました。 それを見据えて子会社化したのか?? 小学生だった私には詳しい事情は分かりませんが、間もなく坑内火災が起きて予定より早く閉山することになったようです。 毎度のことながら曖昧な話ですみません・・・。 2015/08/27(Thu) 19:48:49 [ No.5325 ]
有り難うございます。今度転記しておきます。
2015/08/27(Thu) 21:37:50 [ No.5326 ]
抗口のところに掲げられている、
『更に前進 輝く黄金』 西芦別の消防横の火の見櫓に掲げられていた、 『更に前進 輝く芦別』 見事に似ています。 同じ三井系列だったからでしょうか・・・。 2015/08/29(Sat) 21:35:25 [ No.5329 ] |
黄金特集、驀進中!
これらの資料を提供いただいた百年記念館には感謝いたします。 知られざる黄金。 初めて三井黄金の話を伺い、さてどこにあるんだべ、と始まった頃が懐かしいです。 確かあの時口火を切ってくれたのは岩粉撒きさんの送ってくれた黄金坑外図でした。 あれから何年たったのでしょう。こうして私にとって幻だった三井黄金は街としての資料を整えています。 ここまで来られた事、皆様に感謝いたします。 2015/08/29(Sat) 17:44:21 [ No.5328 ] |
めいなさんから投稿が来ていますよ。
2015/08/28(Fri) 22:59:32 [ No.5327 ] |
2015/08/25(Tue) 18:27:51 [ No.5322 ]
中の丘にも本日集中的にコメント戴きました。
沢山なので特にどのページとは書きませんが、感謝! 2015/08/26(Wed) 21:15:30 [ No.5324 ] |
「失われた故郷 三井芦別」 街並再現計画
時は残酷な伴走者、旅人から若さを奪い、希望と最期は命まで持っていく。 心が帰るべき故郷はもう跡形も無い。それでも想い出を持つ者は幸いだ。 幼すぎてただ引き裂かれた者達には柔らかく甘美な記憶の寝床すらない。 もう一度、歩きたい、もう一度生まれた街を確かめたい、そのままの姿で。 2015/08/15(Sat) 18:21:44 [ No.5313 ]
いつもまだるっこしく感じる事。
どこで生まれたのですか、と聞かれた時。 旭川のちょっと下、ほら富良野の西、近く。 昔炭鉱があって、三井鉱山という会社があって、、 今はもう何も無くてジャングルですね。でも昔はね全部揃っていたんです。 大きな学校も病院も社宅も、町ごと作ったというか三井鉱山がね。。 どんな街かって?それはね。。。。。。。もうイヤじゃ。 ここを見ろ、と言う。それだけ。 2015/08/15(Sat) 19:03:47 [ No.5314 ]
>>どんな街かって?それはね。。。。。。。もうイヤじゃ。
笑わせていただきました そうなんですよ、どこから来たって聞かれて芦別って行ったら??ってなるんですよね 20年前だったら芦別っていったらすぐにわかってくれたのに 2015/08/16(Sun) 16:19:40 [ No.5315 ]
ここのところ法事づいているので、自分のお葬式で故人の紹介がうまくいかないじゃないのかなとふと不安になりました。
2015/08/16(Sun) 20:55:38 [ No.5316 ]
お久しぶりです。
確かに困りますね、自己紹介では北海道の真ん中辺で富良野の近く、とまず言います。 『ああ炭鉱の・・・』と反応がくれば説明しますが、そうでない様子なら切ります。 (東堂さん亡くなられたそうで、ご冥福をお祈り致します。 4年前でしたか、お庭の草むしりの姿を拝見したのが、最後となりました。) 2015/08/18(Tue) 20:21:28 [ No.5318 ]
東堂さんってどなたでしょうか?
2015/08/18(Tue) 21:56:55 [ No.5319 ]
あ すいません、映画の舞台のひとつとなった芦別永昌寺の元住職さんです。
芦別の歴史を知りすぎるくらい、知ってた方だと思います。 幼いころお寺でよく法事の時に食事しましたが、特に煮物が絶品で、おねだりしたものです。 千葉に引っ越したこともご存じで、祖母、母の世代にお世話になりました。 2015/08/19(Wed) 01:03:33 [ No.5320 ]
亡くられたのですか、18年前に父が亡くなった時に札幌迄お越し頂きお経をあげてくださいました。大変御世話になった方です。
2015/08/19(Wed) 17:46:06 [ No.5321 ] |
中の丘錦町のかたです、コメントがありました。
錦町はアイレベルの写真が全然ないのですよ、 悲しい。 2015/08/16(Sun) 20:57:42 [ No.5317 ] |
前回の若葉台と思われる高台にある坑長宅から一転
下を見るとみどり町の風景が、そこで1枚パチリ。 だったらいいのですが・・。 2015/08/15(Sat) 18:06:37 [ No.5312 ] |
- Joyful Note -
- Antispam Version -