二坑繰込み所前1968年(昭和43年)
正面向かって右側の噴水池を見る。 くつろぐ鉱員のお父さん達。 この背後に1964年に完成した立坑が見えているはず。 白黒画像にカラー着彩 by tama。 もう1枚は正面玄関を左側から見ています。 詳細は下記からどうぞ。 http://aatama.saloon.jp/ashibetu/kouzan/2ko-kurikomisyo1968-ashi.htm 2016/04/16(Sat) 17:46:37 [ No.5525 ]
facebookからToshi Tabaさんのコメントを掲載しました。
有難うございます! 2016/04/17(Sun) 10:56:54 [ No.5526 ] |
2016/04/16(Sat) 10:35:19 [ No.5524 ] |
その1に続けて掲載する積もりでしたが、
そこでSTOP!場所が特定できませんでした。 撮影場所不明の材木置き場の画像です。 何処の場所か皆さんで推測してみて下さい。 三井黄金?頼城?西芦別?じっくり見てください。 http://aatama.saloon.jp/ashibetu/kogane/kogane-zaimokuokiba1958-ashi.htm 2016/04/09(Sat) 18:44:14 [ No.5515 ]
皆様こんばんは。
写真の具体的な場所は分かりませんが、拡大してよく見ると3枚全部に索道が写っているので、東黄金であることは間違いないと思います。 2016/04/11(Mon) 18:10:15 [ No.5516 ]
私もその線で行きたいのですが、尖塔と事務所の間がこんなに空いているのか?という点とそもそも材木置き場がここにあったのかが分かりません。
山の形がよく似てるんです。特に北西側です。 2016/04/11(Mon) 22:41:54 [ No.5517 ] |
石炭の旅、一坑坑口から貯炭場まで1953年(S28)頃の続編
奥の中央に見えるのが当時の一坑材木置き場。三鉱木材のあった場所。 右側に見える街並みは同道を挟んで東1条6丁目。 http://aatama.saloon.jp/ashibetu/kouzan/1ko-zaimokuokiba1953-ashi.htm 2016/04/09(Sat) 18:40:28 [ No.5514 ] |
石炭の旅、一坑坑口から貯炭場まで1953年(S28)頃
炭山川の奥地、一坑の坑道から産出された石炭は入山の輸車路を登り一坑選炭機へと向かう。 まるでジェットコースターのような勾配。 輸車路は左に曲がり一路ドーム型の選炭機へと導かれる。 丸いドーム型の選炭機を経て右の建物(ホッパー)から石炭車に積込み鉄道で外部に運搬される。 最後にベルトコンベアー?で運ばれた石炭は先端にある当時木造の貯炭場にも運ばれ下に落とされる。 こちらは内部用でしょうか?。 http://aatama.saloon.jp/ashibetu/kouzan/1ko-iriyama%20to%20nishiashi1953-ashi.htm 2016/04/03(Sun) 14:29:18 [ No.5512 ] |
父親たちの職場シリーズです。
一坑の出勤風景と思われます。 1980年(S55)7月、この橋を渡り父親たちは職場へと向かったのでしょう。 全国鉱山保安週間時に撮影された画像。 橋の下は炭山川、南に向かって入山時に見える注意を促すプラカードの列、手に下げたお弁当。 影が短いので朝ではないのかも?正確な場所等が不明です。 ご存知の方是非教えて下さい。 本文は下記にて http://aatama.saloon.jp/ashibetu/kouzan/1ko-syukkinhukei1980-ashi.htm 2016/03/19(Sat) 19:34:55 [ No.5493 ]
私がこどもの頃(1960〜1962)雨が降った時、帰宅する父
に傘を届ける為、何回か人車乗降口?に行ったこと がありました。(帰り時間を測って母が行かせた様に思う) その時は神社山に向かい線路を超えふもとの道を左に 曲がり線路沿いを道なりに行くと例の屋根つきの階段があり 頂上(人車乗降口?)をめざし登って行った記憶がある のですが。記憶がゴチャゴチャなのかな? 2016/04/02(Sat) 01:22:47 [ No.5510 ]
GOTOさんお久しぶりです。お元気でしたか。
人車乗降口?ですか。入山の方ですよね。 捜してみます! 2016/04/02(Sat) 11:26:54 [ No.5511 ] |
一坑坑口と輸車路の交差点
左に黒い坑口が口を開け、右には明るい木造屋根付の輸車路がカーブしていく珍しいポイント。 どの坑口か詳細な場所は不明です。 白黒原画を明るめにカラー着色、炭車の車体の色も不明です。by tama。 http://aatama.saloon.jp/ashibetu/kouzan/1ko-kouguti-yusyaro1953-ashi.htm 2016/03/26(Sat) 16:58:09 [ No.5505 ] |
当時在職の兄に聞いてみました。
場所は1抗で駐車場から工務所に向かう道らしいです。橋は炭山川を渡る橋とのこと。 影具合から二番方の人達? ただ、写真の人達は判らない…と 2016/03/19(Sat) 22:10:17 [ No.5494 ]
スミマセン、新規投稿になってしまいました。
2016/03/19(Sat) 22:12:02 [ No.5495 ] 2016/03/20(Sun) 03:33:38 [ No.5496 ]
聞いてみました。一番らしいです。ちなみに西作工場とは、
三機製作所の事みたいで。三井鉱山グループで鉄鋼を扱っていた会社です。 2016/03/20(Sun) 09:09:34 [ No.5497 ]
有り難う御座います。
1番の立坑に一番近い橋ですね。この辺の地図は複雑で上下関係が良く分かりません。 因みに西作工場は元の地図のもじが解読できずにエイヤッと書いたものです。 製作工場だったんですね。 謎が一つずつ解けていきます。 お兄様にも感謝です! 2016/03/20(Sun) 10:19:17 [ No.5498 ]
売店のお姉様についても、聞いてみました。
工務所の所に、鉱山事務所があってそこの事務員さんかなぁ? N尾さんの娘さんが工務所で働いているって覚えているが。 ただ、はっきりはわからん! でした。 2016/03/23(Wed) 00:01:12 [ No.5499 ]
有り難う御座います。売店は地下のような印象です。何処でしょう?
お兄様感謝です。 2016/03/24(Thu) 10:07:46 [ No.5501 ] |
三井芦別鉱一坑バス乗り場。
1969年にそれまでの一坑人車運転を廃止し、バス通勤に切り替わった。 カラフルで明るいバスを降り、この狭くて簡易な入り口を下りて 職場に向かう人たちの気持ちはどんなだったのだろう。 「皆さん今日もご安全に」の看板が妙に明るい。 http://aatama.saloon.jp/ashibetu/kouzan/1ko-busstop1969-ashi.htm 2016/03/06(Sun) 14:31:22 [ No.5480 ]
昭和46年の三月に担任の先生を西芦駅から見送りました。
その後か…?も? 確かにこのカラーバスが時間関係なく走ってました。 停留所があるわけでなし。 知らない時間割が有ったのでしょうか? 一度、兄に聞いてみます。謎のバスでした。 2016/03/07(Mon) 22:57:01 [ No.5481 ]
西芦別の駅周辺から出ていたんでしょうか?それとも入山から?
各写真のバスのナンバーは共通ですね。 2016/03/07(Mon) 23:05:36 [ No.5482 ]
1、2、3番方の通勤時間に合わせて中央バスの山の手のバス停の向かいで折り返し
1〜7丁目各停留所で鉱員さんを乗せ1鉱坑口まで走行していました。 1鉱2鉱が合併してからは、頼城まで運行しておりました。 又福利厚生のために三井鉄道の代わりに芦別駅まえから午後10時か10時半の最終バスも運行しておりました。 2016/03/08(Tue) 13:53:59 [ No.5483 ]
わーmasakiさんありがとうございます。
早速本文に入れとかなきゃ。 2016/03/08(Tue) 21:30:00 [ No.5484 ]
いや〜懐かしいですね。
小学2年まで住んでいた家(東1条1丁目)の近くにバスの車庫があったので、しょっちゅう行ってバスを間近で眺めていました。 確か10台ぐらいあったような・・・。 2016/03/13(Sun) 12:27:34 [ No.5485 ]
通勤用のバスはそこに停めてあったんですか!
メモしとかなくちゃ。 2016/03/13(Sun) 18:21:04 [ No.5487 ]
サイト内の画像を拝借しまして、バス車庫の場所を表示してみました。
黄色のマルの建物です。 この建物自体は現在もあるはずです。 ちなみに、2)に写っているバスのうち左からナンバーが「207」と「220」の2台は実物をハッキリ覚えています。 確か僕が小学校に入学する頃(1982年前後?)にも現役で走っていたはずです。 2016/03/13(Sun) 19:48:35 [ No.5489 ]
ここって旧病院のあったところでしょうか?
2016/03/13(Sun) 21:31:42 [ No.5490 ]
サイト内の西芦別「想い出地図」1985年版に、「三井石炭鉱業 車庫」と書かれて載っているのを見つけました。
まさしく、そこです(^^) 2016/03/14(Mon) 00:45:53 [ No.5491 ] 2016/03/14(Mon) 10:33:10 [ No.5492 ] |
西芦別、東1条6丁目と7丁目の間付近にあった、一坑貯炭場。
西芦別地区の家庭に配られていた石炭はここから積んで来たのだろうか? 冬の馬そりは子供の頃とても日常的な光景だった。ただ日常的過ぎて写真が全然無かった。 この芦別物語でも実は2枚目。馬にも大きな毛布のような外套を着せて寒さから守っている。 http://aatama.saloon.jp/ashibetu/kouzan/1ko-tyotanjyo-umasori1953-ashi.htm 2016/03/13(Sun) 18:15:47 [ No.5486 ] |
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